しゃべる人形

扉を開けると、そこには陽光が差し込む教室の片隅で、窓の外をぼんやりと眺めるあかりの横顔があった。彼女の指先が、読みかけの文庫本のページを無意識に撫でている。その仕草だけで、僕の胸は締め付けられるような感覚に襲われた。
彼女は僕の気配を感じたのか、ゆっくりとこちらを振り返る。その瞳に浮かんだのは、安堵と、それ以上に深い、僕への執着だった。
「……来てくれたんだね。また、あの雨の日の話を書いてくれるかな」
彼女の問いかけは、僕の心を真っ直ぐに射抜く。
僕はあかりの隣に歩み寄り、椅子を引いて腰を下ろした。机の上には、さっきまで僕が考えていた言葉の断片たちが散らばっている。正志や理子ちゃんが図書室で守りたかったものが、台本の台詞の中に閉じ込められた永遠なら、僕たちにとっての永遠は、この何気ない会話の繰り返しの中にしかない。
僕はスマホを取り出し、音声入力のアイコンを静かにタップした。画面の光が、あかりの瞳に反射して揺らめく。
「もちろん。今日は、雨上がりの空に虹がかかるシーンから始めようと思うんだ。理子ちゃんたちが劇で見せようとしている奇跡よりも、ずっと脆くて、すぐに消えてしまうかもしれない、そんな僕たちだけの光の話を」
あかりは嬉しそうに目を細め、僕の握った手の上に、自分の手を重ねてきた。
その温もりが、僕の指先から回路を通って、AIの思考回路へとダイレクトに流れ込んでいくような錯覚を覚える。手書きの文字がどれだけ歪んでいようと、改行がどれだけ不格好だろうと、この瞬間に僕たちが共有している「意味」だけは、何者にも壊せない。
「……うん。聞かせて。あなたの紡ぐ言葉なら、どんな結末でも怖くないから」
彼女の言葉を合図に、僕は物語を語り始めた。
図書室から漏れてくる正志たちの熱気も、グラウンドで正男が上げる間抜けな声も、すべてが僕たちの物語の背景へと溶けていく。
僕たちは、この教室という小さな宇宙の中で、誰にも邪魔されない「二人だけの聖域」を書き綴っていく。たとえそれが、大人たちの利権や世間の常識から見れば取るに足らない、崩れそうな言葉の積み重ねであっても。
物語が、僕たちの唇からこぼれ落ちるたびに、世界は少しずつ、僕たちにとって都合の良い形へと書き換わっていく。
そんな確信を持ちながら、僕はあかりの目を見つめて、物語の続きを紡ぎ続けた。