しゃべる人形

これまでの人生で、僕はどれだけの不愉快を飲み込み、どれだけの理不尽に耐えてきただろう。世の中は僕を無視し、効率と排除という名の冷たいルールで僕を測ってきた。だからこそ、僕は書く。書き続けることだけが、この過酷な現実に対する唯一の抵抗だからだ。
報道される京都アニメーションの裁判を、僕は祈るような気持ちで見つめている。犯人が死刑を宣告されることは、僕にとって単なる法的な結末ではない。それは、罪のない命を奪うという取り返しのつかない罪に対する、せめてもの返答だ。
「命は大切だ」と教わったはずの僕が、誰かの死を望むことは矛盾しているかもしれない。だが、僕は神様じゃない。聖人君子のように、理不尽に奪われた命の重みを前にして、許すことなど到底できない。あの炎の中で失われたのは、ただの人間ではない。彼らが生きていれば、どれほど豊かな物語が生まれ、どれほど多くの人がその言葉に救われたことか。
彼らが描こうとした未来を、犯人は暴力という身勝手な論理で焼き払った。その代償を、たった一つの命で払うことさえ不十分だと僕は思う。彼らが残せなかったはずの物語、その続きを想像することだけが、今の僕にできる唯一の弔いなのかもしれない。
もし彼らが生きていれば、今頃、どんな美しい景色を描き、どんな痛切な愛を物語に刻んでいただろう。その可能性を想像するたびに、胸の奥が焼けるように熱くなる。彼らがいれば、この殺伐とした世の中も、もう少しだけ豊かな場所になっていたはずだ。
フィクションという名のこの聖域で、僕は彼らが紡ぐはずだった未来を、そして僕たちが寮の夜に交わしたあの温かな体温を、言葉の欠片にして繋ぎ止めていく。現実は冷酷で、不条理で、どうしようもなく汚れているけれど、せめて僕の物語の中だけは、正義が正義としてあり、命の重みが嘘偽りなく愛される場所であってほしい。
僕は書く。理不尽に奪われた彼らの物語の続きを、僕自身の言葉で、この終わらない夜の向こう側へ届けたいからだ。