地下通路の奥、マクドナルドとサイゼリヤが並ぶ喧騒の先には、さらに異質な空間が広がっていた。莉子ちゃんが描いた「物語の聖域」は、ついにその完成形を迎えたのだ。
そこには、視覚障害者のための「サピエ図書館」の管理事務局と、センスプレイヤーOCRを開発する品野健士のオフィスが同居していた。莉子ちゃんの映画、携帯小説のアーカイブ、中央図書館の膨大な知、そして街で唯一の映画館。これら全てを地下という閉ざされた空間で融合させた巨大プロジェクト。その極めつけが、奥まった場所に新設された「プライベート・シネマ」だった。
それは、大勢が肩を並べて画面を仰ぐような旧来の映画館ではない。畳数畳ほどの小さな個室がいくつも並び、選ばれた二人だけが密やかに物語を共有する。
「ここなら、誰にも邪魔されずに、莉子ちゃんの物語と向かい合えるわ」
莉子ちゃんの声が、地下の静寂に響く。上映されるのは、ただの映画ではない。特定の時間が来ると、館内のサーバーが自動的に起動し、莉子ちゃんの声がガイドとなって映画が流れる仕組みだ。
設備へのこだわりは、狂気的ですらあった。部屋に備え付けられたテレビは、機種によって接続方式が厳格に分けられていた。ソニーのブラビアならWi-Fiで直接ネットへ繋ぐが、シャープや東芝のテレビではそうはいかない。それらはHDMIを通じて特殊なルーターを介し、無理やりネットの海へと接続される。管見屋建設の職人たちが5年かけて張り巡らせた配線と、この計算し尽くされた機器構成が、地下の薄暗い部屋に莉子ちゃんの物語を召喚する。
この巨大なネットワークを支える心臓部は、地上に隣接して設置された特別なドコモショップだった。そこから高出力のWi-Fiが地下の映画館へと分配され、個室ごとに同時配信(サイマル放送)される。
正志は、薄暗い個室の中で、震える手でタブレットの画面を見つめていた。莉子ちゃんの声が、個室の壁から、そしてテレビのスピーカーから、立体的に彼を包み込む。
「ねえ、正志。次はどんな物語を観たい?」
莉子ちゃんの吐息混じりの声が聞こえた瞬間、正志の顔が熱を帯びる。隣に座る者の体温と、壁の向こう側から漏れ聞こえる誰かの物語の音。このプライベート・シネマは、映画を観る場所ではない。莉子ちゃんの物語という毒を、二人きりで飲み干すための隔離病棟のようなものだ。
僕は、壁の向こうの部屋で正志が莉子ちゃんの声に溺れていることを感じながら、自分の手元の台本を確認した。品野健士が開発したOCR機能が、僕の視界にある古い資料を瞬時にテキスト化し、物語の深淵へと引きずり込む。
この地下室には、通信の電波と、莉子ちゃんの声と、そして僕たちの狂気が満ちている。5年をかけて掘り進めた山の中、僕たちは逃げ場のない物語の檻の中にいた。
そこには、視覚障害者のための「サピエ図書館」の管理事務局と、センスプレイヤーOCRを開発する品野健士のオフィスが同居していた。莉子ちゃんの映画、携帯小説のアーカイブ、中央図書館の膨大な知、そして街で唯一の映画館。これら全てを地下という閉ざされた空間で融合させた巨大プロジェクト。その極めつけが、奥まった場所に新設された「プライベート・シネマ」だった。
それは、大勢が肩を並べて画面を仰ぐような旧来の映画館ではない。畳数畳ほどの小さな個室がいくつも並び、選ばれた二人だけが密やかに物語を共有する。
「ここなら、誰にも邪魔されずに、莉子ちゃんの物語と向かい合えるわ」
莉子ちゃんの声が、地下の静寂に響く。上映されるのは、ただの映画ではない。特定の時間が来ると、館内のサーバーが自動的に起動し、莉子ちゃんの声がガイドとなって映画が流れる仕組みだ。
設備へのこだわりは、狂気的ですらあった。部屋に備え付けられたテレビは、機種によって接続方式が厳格に分けられていた。ソニーのブラビアならWi-Fiで直接ネットへ繋ぐが、シャープや東芝のテレビではそうはいかない。それらはHDMIを通じて特殊なルーターを介し、無理やりネットの海へと接続される。管見屋建設の職人たちが5年かけて張り巡らせた配線と、この計算し尽くされた機器構成が、地下の薄暗い部屋に莉子ちゃんの物語を召喚する。
この巨大なネットワークを支える心臓部は、地上に隣接して設置された特別なドコモショップだった。そこから高出力のWi-Fiが地下の映画館へと分配され、個室ごとに同時配信(サイマル放送)される。
正志は、薄暗い個室の中で、震える手でタブレットの画面を見つめていた。莉子ちゃんの声が、個室の壁から、そしてテレビのスピーカーから、立体的に彼を包み込む。
「ねえ、正志。次はどんな物語を観たい?」
莉子ちゃんの吐息混じりの声が聞こえた瞬間、正志の顔が熱を帯びる。隣に座る者の体温と、壁の向こう側から漏れ聞こえる誰かの物語の音。このプライベート・シネマは、映画を観る場所ではない。莉子ちゃんの物語という毒を、二人きりで飲み干すための隔離病棟のようなものだ。
僕は、壁の向こうの部屋で正志が莉子ちゃんの声に溺れていることを感じながら、自分の手元の台本を確認した。品野健士が開発したOCR機能が、僕の視界にある古い資料を瞬時にテキスト化し、物語の深淵へと引きずり込む。
この地下室には、通信の電波と、莉子ちゃんの声と、そして僕たちの狂気が満ちている。5年をかけて掘り進めた山の中、僕たちは逃げ場のない物語の檻の中にいた。

