しゃべる人形

夜の静寂の中、部屋にはカチン、カチンという音が響いていた。それは時計の音ではない。足元でうずくまっていた二匹の猫のうち、あの大きな猫が激しく毛繕いをしている音だ。時折、爪が床に触れる音や、ザラリとした舌が毛を梳く音が、カエルの鳴き声が遠くに響くこの夜に、妙な存在感を放っている。
僕はその音をBGMに、頭の中で物語を紡いでいた。すると突然、机に伏せていた僕のスマートフォンが淡い光を放ち、着信を告げた。画面には「遥」の文字。
「もしもし、遥?」
「秋夫くん、ごめんね……夜遅くに。新しいリーダーの操作が、どうしても分からなくて」
受話器の向こうの遥の声は、少しだけ心細そうだった。僕はすぐに端末を手に取り、彼女のリーダーの設定を思い浮かべた。そのサムスンの電子書籍リーダーは、世間ではガラパゴスなどと揶揄されることもあるが、実態は僕のGalaxy S21と中身はほとんど変わらない。僕は彼女が迷わないように、アイコンの配置からホーム画面の構成まで、僕のスマホと全く同じ設定にして渡していたのだ。
「大丈夫、落ち着いて。それ、ボタンでもタッチでも操作できるから。まずは左下のアイコンをタップして……」
僕は夢中で操作を教え始めた。機械いじりが得意な僕にとって、この作業はパズルを解くように楽しかった。遥は最初こそ戸惑っていたが、僕の誘導通りに指を動かすと、次第に慣れていった。
「あ、本当だ。ここをスワイプするとページが変わるんだね」
「そう。それにね、それただの読書端末じゃないんだ。そのブラウザを開いてみて。小説以外のサイトだって普通に見られるし、検索もできる。……実際は、スマートフォンとほとんど変わらない、とんでもない端末なんだよ」
遥は驚いたように、「えっ、こんなことまでできるの?」と声を弾ませた。彼女にとってそれは、SNSという泥沼から切り離された、自分だけの秘密の窓になったようだった。
毛繕いを終えた大きな猫が、ふと僕の操作する手元を覗き込み、低く「にゃお」と鳴いた。まるで「人間ってやつは、機械一つでそんなに嬉しそうにするのか」と呆れているようだ。
「ありがとう、秋夫くん。これで、本当に自分の読みたいものだけを、自分のペースで探せるわ」
遥の言葉には、確かな充実感が宿っていた。電話を切った後、僕はスマホを元の場所に置いた。カチン、カチンという大きな猫の爪の音と、窓の外から届くカエルの鳴き声。その静かな夜の中で、僕は先ほどまでの喧騒が嘘のような充足感に包まれていた。
スマートフォンという便利な道具を、僕たちはようやく「支配されるもの」から「使いこなすもの」へと変えることができた。僕は静かに目を閉じ、遥と共有したあのデジタルな回路の先にある、確かな未来の物語を思い描いていた。