家までの帰り道、街灯の光が四人と二匹の影を地面に長く引き伸ばしていた。さっきまで大騒ぎだったテレビのニュースや、SNSの誹謗中傷、そんなものが遠い世界の出来事のように思える。
「ねえ、秋夫」
遥が突然、足を止めて言った。彼女は着ていた正夫の大きなシャツの袖をぎゅっと握りしめている。
「私、家に帰ったら、スマホを……解約しようと思うの。誰かと繋がっている気がして、本当は誰からも求められていなかったあの場所を、もう一生開かないって決めたの」
正夫は隣で小さく頷いた。
「俺もだよ。優等生を演じて、誰かの期待に応えるためだけにSNSを更新するの、もうやめる。自分の言葉は、今、ここにいる人たちにだけ伝えればいいんだ」
二匹の猫――ちびと、猫の姿をした母――は、時折振り返りながら、僕たちを先導するように歩いていく。母猫がふと足を止め、電柱の陰から街の様子を眺めた。
「人間はね、寂しいからこそ画面に縋るのよ。でも、本当に大切なものは、足元に咲く草花や、隣を歩く誰かの心拍数の中にしかない。……それが分かったのなら、もう大丈夫ね」
その言葉には、かつて人間だった母の、深い後悔と、今の姿でようやく得た平穏が入り混じっていた。
家に着くと、玄関のドアを開けた途端、不思議な静けさが迎えてくれた。僕はテレビのリモコンを手に取ったが、そのまま電源を入れることなく、棚の奥深くに放り投げた。
「さて」と秋夫が笑う。
「今日からは、僕たちの新しい生活だ。ニュースなんか観なくていい。誰かに評価されなくていい。僕たちが感じたことが、僕たちにとっての唯一のニュースなんだから」
あかりはキッチンへ向かい、冷蔵庫にあったささやかな材料で、四人分の温かいスープを作り始めた。不器用だけど、とてもいい匂いがする。杏奈は遥の傷の手当てをし、猫たちは窓辺で月の光を浴びながら、静かに眠りにつこうとしていた。
その夜、僕たちは何をするでもなく、ただ同じ部屋で過ごした。
誰かが本を読み、誰かが眠り、誰かが静かに語りかける。それは、かつて僕たちが夢見ていたような、完璧な「休日」だった。
ふと、外を見ると、台風の去った空に、昨夜の雨が嘘のような満月が浮かんでいた。
僕の膝の上では、母である猫が喉を鳴らしている。その音は、まるで古い時計の針が刻むような、穏やかなリズムだった。
「僕たちは、これからどこへ行くんだろう」
そう呟いた秋夫に、あかりは笑って答えた。
「どこへも行かないよ。私たちは今、ようやく『ここ』にたどり着いたんだから」
オンラインの世界は、僕たちを遠くへ連れ去ろうとしていた。でも、僕たちはようやく、自分たちの足で立つ場所を見つけた。画面を閉じた後の暗闇に、小さな灯りがともる。それは、誰かから与えられた光ではなく、僕たちが手を取り合って灯した、ささやかで、一生消えない火だった。
窓の外では、夜の風が穏やかに木々を揺らしている。
もう、誰も僕たちを傷つけられない。たとえ明日、世界がどれほど騒がしくなろうとも、この温もりを知ってしまった僕たちは、二度とあの大海原のような孤独には戻らない。
「おやすみ」
誰かがそう言った。
その言葉が、今夜の僕たちにとっての、世界で一番贅沢なニュースだった。
「ねえ、秋夫」
遥が突然、足を止めて言った。彼女は着ていた正夫の大きなシャツの袖をぎゅっと握りしめている。
「私、家に帰ったら、スマホを……解約しようと思うの。誰かと繋がっている気がして、本当は誰からも求められていなかったあの場所を、もう一生開かないって決めたの」
正夫は隣で小さく頷いた。
「俺もだよ。優等生を演じて、誰かの期待に応えるためだけにSNSを更新するの、もうやめる。自分の言葉は、今、ここにいる人たちにだけ伝えればいいんだ」
二匹の猫――ちびと、猫の姿をした母――は、時折振り返りながら、僕たちを先導するように歩いていく。母猫がふと足を止め、電柱の陰から街の様子を眺めた。
「人間はね、寂しいからこそ画面に縋るのよ。でも、本当に大切なものは、足元に咲く草花や、隣を歩く誰かの心拍数の中にしかない。……それが分かったのなら、もう大丈夫ね」
その言葉には、かつて人間だった母の、深い後悔と、今の姿でようやく得た平穏が入り混じっていた。
家に着くと、玄関のドアを開けた途端、不思議な静けさが迎えてくれた。僕はテレビのリモコンを手に取ったが、そのまま電源を入れることなく、棚の奥深くに放り投げた。
「さて」と秋夫が笑う。
「今日からは、僕たちの新しい生活だ。ニュースなんか観なくていい。誰かに評価されなくていい。僕たちが感じたことが、僕たちにとっての唯一のニュースなんだから」
あかりはキッチンへ向かい、冷蔵庫にあったささやかな材料で、四人分の温かいスープを作り始めた。不器用だけど、とてもいい匂いがする。杏奈は遥の傷の手当てをし、猫たちは窓辺で月の光を浴びながら、静かに眠りにつこうとしていた。
その夜、僕たちは何をするでもなく、ただ同じ部屋で過ごした。
誰かが本を読み、誰かが眠り、誰かが静かに語りかける。それは、かつて僕たちが夢見ていたような、完璧な「休日」だった。
ふと、外を見ると、台風の去った空に、昨夜の雨が嘘のような満月が浮かんでいた。
僕の膝の上では、母である猫が喉を鳴らしている。その音は、まるで古い時計の針が刻むような、穏やかなリズムだった。
「僕たちは、これからどこへ行くんだろう」
そう呟いた秋夫に、あかりは笑って答えた。
「どこへも行かないよ。私たちは今、ようやく『ここ』にたどり着いたんだから」
オンラインの世界は、僕たちを遠くへ連れ去ろうとしていた。でも、僕たちはようやく、自分たちの足で立つ場所を見つけた。画面を閉じた後の暗闇に、小さな灯りがともる。それは、誰かから与えられた光ではなく、僕たちが手を取り合って灯した、ささやかで、一生消えない火だった。
窓の外では、夜の風が穏やかに木々を揺らしている。
もう、誰も僕たちを傷つけられない。たとえ明日、世界がどれほど騒がしくなろうとも、この温もりを知ってしまった僕たちは、二度とあの大海原のような孤独には戻らない。
「おやすみ」
誰かがそう言った。
その言葉が、今夜の僕たちにとっての、世界で一番贅沢なニュースだった。

