しゃべる人形

現場の喧騒がようやく収まり、警察の車両も報道陣の撤収も終わったあとの土手には、奇妙な静寂が戻っていた。
その時だった。草むらの陰から、「にゃお、にゃお」という聞き慣れた、けれどどこか落ち着いた調子の声が響いてきた。
「……ちび? それと、……母さん?」
僕の家にいるはずの猫たち――ちびと、もう一匹の猫。それはただの猫ではなかった。僕が幼い頃から見知っている、あの眼差し。あの独特の歩き方。紛れもなく、姿形を変えてしまった僕の母親だった。二匹は不思議なことに、僕たちの足元まで堂々と歩み寄ってきた。僕が驚いて立ち尽くしていると、ちびが僕の顔をじっと見上げ、人間のように冷静な口調で話し始めた。
「大下洋子のワイドスクランブルで見てたんだけどさ。あれ、あんたたちが行方不明になってたやつだったんだね。まったく、心配したんだよ」
そして、横にいる母猫――姿を変えた母が、僕の震える肩を気遣うように、あたたかな毛並みを寄せてきた。
「見つかって本当によかったわよ。テレビのニュースでずっと中継していたから……あんたたちが無事でいるか、気が気じゃなかったのよ」
猫が喋る。それどころか、目の前にいるのが母だという事実に、僕は全身が震えるのを止められなかった。けれど、彼女たちの言葉には、不思議と何の疑念も湧かなかった。むしろ、この非常識な状況こそが、今の僕たちには一番しっくりくるような気がした。
「……母さん、いつからそんな姿に? テレビなんて観てたのか?」
僕が掠れた声で尋ねると、母である猫は少しだけ悲しげに瞳を細めた。
「人間界のことは、もう人間として追いかけるにはあまりにも疲れすぎてしまったのね。だから、こうして側で見守ることにしたの。ワイドスクランブルだけじゃなくて、NスタもAbemaも、あんたたちがどれほど傷ついているか、全部観ていたわ」
母とちびは、まるで人生の全てを知り尽くした老人のように、僕とあかり、そして正夫と杏奈、傷ついた遥を囲むように座り込んだ。
「オンラインで繋がって、見えない誰かを信じる? それより、今ここでこうして、私たちと目を見て会話していることの方がずっと大事だろ?」
ちびの言葉には、重みがあった。いつも僕たちのそばでただ「そこにいる」だけの存在だった猫たちが、人間社会の滑稽さと、繋がることの真の意味を的確に突いてくる。
遥は、自分の膝に乗ってきた母猫の温もりに触れ、ようやく心の底から安堵の表情を見せた。
「ごめんね……私、画面の中の言葉ばかり信じて、本当の温もりを忘れてた」
「馬鹿だったのはあんただけじゃないよ。人間っていうのは、画面という檻の中で、一生懸命迷子になるのが好きな生き物だからね」
母である猫がそう言って、優しく遥の頬を舐めた。
川風が吹き抜ける土手で、人間四人と二匹の猫が、ただ穏やかに時間を共有している。猫が喋り、母が猫の姿をしている。普通ならあり得ない光景。けれど、今の僕たちには、この奇妙で優しい世界こそが、何よりも「リアル」に感じられた。
秋夫は、母たちの言葉を噛みしめながら、空を見上げた。台風が去った空は、どこまでも青く、澄み渡っている。僕たちはもう、誰かの評価や、画面の向こうの嘘に怯えることはない。姿が変わっても傍にいてくれる母と、仲間と、流れる川がある。それだけで十分だった。