しゃべる人形

土砂降りの雨の中、高架下で震える正夫と杏奈の前に、テレビで見慣れた顔が差し出した傘が影を落とした。気象予報士のサンヒヨリだ。
「どうされたんですか? こんなところで」
正夫は雨でぼんやりとした頭で、反射的に口を開いた。
「あ、この人いつもアベマに出てる人ですよね」
突拍子もない言葉にサンヒヨリは一瞬たじろいだが、目の前の二人の異様な状況——制服姿で、雨に打たれ、ただならぬ空気を纏っている高校生を見て、状況を察した。
「……君たち、ここで雨宿りしていても揺れが激しいから、危ないわよ」
彼女は二人の目を見て、少し迷った末に、近くの古いラブホテルの住所を教えた。
「あそこなら、少なくとも雨は凌げるから。……行きなさい」
二人がその場所へたどり着くと、雨に濡れたネオンがぼんやりと輝いていた。オーナーは、ずぶ濡れの高校生たちを見て、最初は渋い顔をしたが、二人の必死な、そしてどこか壊れかけの瞳を見て、溜息をついた。
「電車も止まってるし、今夜帰るなんて自殺行為だ。……金なんていい。入ってろ」
通された部屋は、昭和の残り香が漂う、少し古びた場所だった。重いドアが閉まった瞬間、そこは外の世界から完全に切り離された「密室」になった。
正夫と杏奈は、ベッドの端に座り込み、肩で息をしていた。
「……私たち、何してるんだろう」
杏奈がポツリと呟く。制服から滴る雨水が、シーツに濃い色のシミを作っていく。
正夫は震える手で、杏奈の冷え切った頬に触れた。
「ここは、誰の計算も届かない場所だ。ニュースの原稿も、明日の予定も、ここにはない」
その時、正夫の胸の中で、これまで抑え込んできた「壊れたもの」への衝動が堰を切った。彼は杏奈を優しくベッドに引き寄せた。それは欲望というよりも、二人だけの世界を確認するための、痛いほどの抱擁だった。
杏奈は拒まなかった。彼女もまた、この閉鎖空間で自分たちが「大人」や「社会」から完全に解き放たれ、ただの「生き物」に戻ることを望んでいた。
「正夫……壊して。私たちのなかの、計算高い自分を全部」
部屋の外では、台風の風が窓を激しく叩き、まるで彼らの新しい門出を荒々しく祝っているようだった。
二人は互いの服を脱ぎ捨て、濡れた髪を絡ませ合いながら、初めて「自分たちだけの感情」を確かめ合った。
それは、秋夫とあかりが映画の中で見つけた愛よりも、もっと生々しく、泥臭いものだった。
正夫は杏奈の背中に触れながら、確信した。明日、もし台風が去って、再び日常が戻ってきたとしても、自分たちはもう元には戻れない。
このラブホテルの暗闇の中で、二人は「人間」として、初めて自分たちを支配していたプログラムをシャットダウンした。
深夜、窓の外の風がおさまり、雨が屋根を打つ音が静かなリズムに変わる頃、二人は寄り添ったまま深い眠りに落ちていった。彼らの夢の中には、ニュースも、進路も、世間の目も、何一つ存在しなかった。ただ、二人の呼吸だけが、この部屋の唯一のルールだった。