しゃべる人形

駅までの帰り道、あかりの温もりを感じながら、僕は自分の心の中で静かに言葉を整理していた。
世の中は、いつからこんなにも冷え切ってしまったのだろうか。
「普通」という言葉は、かつては安心の象徴だったのかもしれない。だが、今の時代においてそれは、誰かを型にはめ、はみ出した者を排除するための鋭利なナイフに成り下がっている。
僕があかりに送ったラブレター。そこに綴ったのは、歪んだ執着などではない。ただ、目の前の女性が愛おしくてたまらないという、飾りのない叫びだ。無理に彼女を縛り付けたわけでも、誰かを傷つけたわけでもない。ただ、僕は一人の人間として、別の人間を全力で愛しただけだ。それのどこが「異常」だというのだろう。
人々がマスクで顔を隠し、ソーシャルディスタンスという名のもとに心の距離まで測るようになってから、社会は決定的に変わってしまった。
コロナの前の時代——あの日々は、他人の幸せを心から祝福できる余裕があった。誰かが誰かと手を繋いでいれば、「よかったね」と微笑むことができた。そこには、相手の幸せを願う、人間本来の感謝や慈しみの心が、まだ確かに息づいていた。
だが、今はどうだ。
自分自身が閉塞感の中で不幸だからこそ、他人の幸せが眩しすぎて直視できない。知らない男女が笑い合っているだけで、あるいは、あかりのように純粋な人間が愛されているのを見るだけで、自分の中に燻る嫉妬や妬みが顔を出す。人は、自分より幸せそうな誰かを叩くことでしか、自分の居場所を確かめられなくなっている。
これこそが、僕たちが陥った「負の連鎖」だ。
僕は、この手紙をきっかけにして、はるかやあんな、そしてこの物語を読んでいるすべての人に問いたい。
——「普通」という物差しで、誰かの愛の形を裁くことに、一体なんの意味があるのか。
僕たちが求めているのは、過剰な感染対策や、無菌室のようなクリーンな社会ではない。多少泥臭くても、多少不器用でも、相手の手を握り、体温を感じ、心から愛していると伝え合う、あの人間臭い時代だ。
「人と人との時代」を、僕は取り戻したい。
あかりに謝罪に行こうと思う。はるかたちに、僕の言葉がただの呪いではなく、彼女たちと同じように、ただ愛を求めた結果の叫びだったことを、理解してもらえるまで何度でも話そう。
もしこの手紙が、あるいは僕たちの関係が、誰かの目に「狂気」と映るなら、それはその人の心が、この冷たい社会によって追い詰められている証拠なのかもしれない。
僕はあかりの手を握り直す。
この手は、僕がこの世界と繋がる唯一の証明であり、僕が生きる意味そのものだ。
世の中がどれほど冷たく閉ざされようとも、僕たちは僕たちのやり方で、魂が燃え尽きるまで愛し抜いてみせる。
たとえそれが、この世界では「普通じゃない」と言われようとも。