心臓を模した化け物。
 奴の体に存在していた無数の腕により、俺は化け物の体内へと引きずり込まれた。

 体内と言っても、化け物の無数の腕で構築された肉格子の中である。
 夜という事もあってか、腕の隙間から見える景色は真っ暗。

 シゲシゲから受け取った八尾山のパンフレットに目を向けたが、ここが何処であるのかは、さっぱり分からない。
 分かっているのは、夜の八時を過ぎたことぐらい。
 
 コイツに拉致されてから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
 俺の体を包み込んだ化け物は、一体何処に向かって進んでいるのだろうか。

 などと考えながら、スマホの画面をタップした。
 真っ暗闇の中、上着のジャージを脱ぎ捨てる。
「これぐらいの角度なら盛れるだろうな」
 
 タンクトップ一枚になった俺は、陽キャ向けのアプリで何度か自撮りをする。
「これじゃあダメだ。もっと寄せないと反応してくれない」

 化け物の体内は体液で溢れており、体液のお陰でタンクトップが良い具合に透けてくれた。

 様々なフィルターの中から男ウケの良いフィルターを選ぶ。
「顔は写ってない。これが俺の限界だ。頼む誰か反応してくれ」
 
 盛れに盛れた自撮り画像をお気に入り登録。
 その後、ライトブルーの九官鳥が目印のアプリをタップした。

 SNSのアプリを開き、裏アカウントへと画面を移動する。
 金髪女子高生の後頭部が写され、その下に"七転八倒@志恩"という名前を記載したアカウントが表示された。
 
 俺は間髪入れずに画像付きの呟きを発信。
「『化け物に拉致された。どこに運ばれているか分からない。お腹が空いた。わらび餅ミルクが飲みたい』ヨシッ、これで送信っと」

 スマホの画面に映ったライトブルーの九官鳥は、俺が送信した画像付きの呟きを封筒に入れ、画面の奥へと飛んでいった。
 その直後、俺の呟きがタイムラインに載る。

 呟きに反応したフォロワーの一人は、イイねボタンを押してくれたようだ。
「ヨシッ!」

 あまりの嬉しさからガッツポーズをとった。
「ああ金髪で良かった。ただの女子高生なら反応してくれないだろうな」

 これで呟きが拡散されれば、フォロワーさんの誰かが心配してくれる。
 それに”相談”のハッシュタグも付けたし、ギリギリの露出写真もアップした。

 誰かの目に留まってくれればいい。
 小さめのボインに反応してくれた人でも構わない。
 
 などと思っていると、早速スマホから通知音が鳴った。
 どうやら掲載した”ギリギリボイン”の自撮り写真は、瞬く間に”大人のお兄さん達”の目に留まったようだ。

 次々とスマホから通知音が鳴り、多くのメッセージが届いた。

 俺は咄嗟にダイレクトメールをタップ。
 ダイレクトメールの受信欄には『迎えに行きます。場所は何処ですか?』『食事込み八〇K』などのメッセージが届いており、常識を疑うような内容ばかりであった。

 それでも俺は送信者に返信する。
「『えっと私、今、東京の端っこにある八童子市の八尾山にいます。迎えに来られますか?』これで送信っと。お願いだ、誰でもいいから来てくれ」

 すぐに送信者は返信してくれた。しかし、局部を晒した画像や罵詈雑言などのメッセージが届く。
 救助を求めているのに、まともな返信は一つもない。

 ハッシュタグの使い方が間違っていたのかな。
 それにしても、グロい物ばっかり届くな。

「なあ七転さん。こんな時間に八尾山で何やってんの?」
 モザイク処理がされていない生々しい画像を目にした直後、フォロワーさんの一人がメッセージを送ってきた。

 メッセージを送ったのは、仲の良いフォロワーさんの一人である”ネクタイ仮面@冬”さんだった。

 赤色のネクタイが目印のネクタイ仮面へと返信。
「今日は赤色なんですね。良いことでもあったんですか?」
「うん。俺の推しが新しい衣装を発表したから、今日は赤のネクタイの気分。たくさん投げ銭しちゃった」

 文面からでも明らかに分かるほど、ネクタイ仮面さんは嬉しそうにメッセージを送ってくる。

 画面をスワイプして彼のアカウントを覗き込む。
 何度かスワイプしていると、彼が言っていた高額の投げ銭コメントのスクショ画面が載っていた。

 推しのバーチャルアイドルにコメントを拾われたらしく、その後に相当な額の投げ銭を追加したようだ。
 
 スマホの画面に化け物の体液が垂れてくる。
 それでも俺は呑気にネクタイ仮面さんへとメッセージを送った。
「それは良かったですね。こっちは八尾山で遭難中です」
「タイムラインに載ってたから知ってるよ。迎えには行けないけど、八童子市の知り合いに声を掛けといた。だから、あの呟きは消しておいた方がいいよ」

 ネクタイ仮面さんは、俺が発信した写真付きの呟きを見ていたようだ。
 変質者からのダイレクトメールが届くだろうと思った彼は、俺の身を心配していたらしい。

 流石はSNS廃人である。
 どんな無駄な呟きをしても、彼は小さな反応してくれる。
 
 俺は自分の呟きを消し、再びネクタイ仮面さんにメッセージを送る。
 しかし、呟きを消去した直後、スマホの画面が真っ暗になった。
「あ、電池切れか。ネクタイ仮面さんには後でメッセージを送ろう」

 真っ暗な画面を見つめ、そのまま流れるように肉壁を睨みつける。
 肉壁から視線を横に向けると、肉格子が傲然たる態度で俺を見下していた。

 触った感触からすると、人間の腕と全く変わらない。
 直接触れても問題は無いようだ。
 
 俺は肉格子を掴み、格子の隙間から化け物へと声を掛けた。
「なあ化け物。どこに向かってるの?」

 返事はない。ただの化け物のようだ。

 化け物は淡々と山道を歩き続けている。
 だとしても安心できた。

 化け物の狙いが、俺を何処かへ連れていく事だと理解したからだ。
 
 本来ならば参道で襲撃した直後、あの場で何らかの能力を使って俺を殺すはず。
 けれども、数十分、数時間ほどの時間が経ったことを考えると、その線は完全に消失したと言っても良いだろう。

 完全と言っても保証はない。
 化け物の気分が変わってしまえば、すぐにでも殺されるだろう。
「仕方ない。このままシゲシゲと志恩が助けに来るのを待つしかないか」

 数十本以上の腕で構築された肉格子に入れられ、なんとか外の景色を観察することはできたが、そんなことは俺に関係ない。

 毎年、薬王院に行く際、俺はケーブルカーやリフトを使い、一号路という参道を進んで薬王院へと向かっている。
 それ故に、俺は一号路以外の山道コースを知らない。

 死人という体である為、山道を歩いて肉体を傷つける訳にもいかない。
 安全な登山コースを進むことで事故に遭わないのであれば、そのコースを選ぶのが当然である。
 
 すたこらと歩き続ける心臓の化け物。
 彼の狙いは分からない。下手に暴れたとしても殺されるだろう。

 そんな事を思いながら、化け物の腕で作られた格子から外を覗いた。

 体中に眠る五感の全てを研ぎ澄ませる。
 すると、普段は聴こえないような音たちが耳へ流れ込む。

 鳥のさえずり声や小川の流れる音に耳を澄まし、水が激しく落ちる音に耳を澄ます。
 動物の唸り声や枝がポキッと折れる音。
 これは心臓の化け物が山を歩く際に作った音だろう。

 こんな音では、自分が何処にいるかが分からない。
「もっと感覚を研ぎ澄ませよう」

 小さくそう呟き、自身の浮世離れした”幽体化”の能力を発動した。
 肉体は化け物に捕まったままだが、この方法であれば上手に周囲を観察できるだろう。

 化け物が作った肉格子からすり抜けた俺の体は、化け物の頭上数メートルまで浮き上がる。
 その直後、淀んだ空気が俺の幽体化した体を包み込んだ。
「この感覚。絶対に間違いない。この先には化け物たちがいる」

 淀んだ空気がさらに濃くなる。
 肥大化した心臓の化け物が進むにつれて、先ほどよりも強い瘴気を感じた。
 
 一刻の猶予も感じられず、感覚を研ぎ澄ませながら再び周囲を見渡す。
 ここからでは小さくしか見えないが、滝のような物が目に入った。
 
 シゲシゲから受け取った登山パンフレットを思い浮かべる。

 今いる場所は、二号路か四号路で間違いない。
 思索の結果ではあったが、滝が近くにあることを考えると四号路だと判断するしかなかった。

「痛い……刀……痛い」
 肥大化した心臓の化け物が言った。肉格子に使用した以外の腕を使い、頭部に突き刺さった宝刀を抜こうとしている。

 日本語が話せるのか。
 それなら交渉の余地が残されているのかもしれない。

 完全に幽体化してしまう前に元の肉体に憑依した。
 
 元の肉体へと戻った俺は、肉格子を優しく撫でまわし、メス猫のような撫で声を意識して小さく呟く。
「なあ化け物。お前、体のどこが痛いんだ?」
「あ……あ……あの」
 
 化け物は意外な反応を示した。俺の問いかけに答えようとしているのだ。

 今までに出会ってきた化け物たちは、否応なく襲い掛かってくることが多い。
 けれどもコイツの反応は、以前に出会ったそれらとは異なる。それどころか親しみさえも感じそうだ。

 例えるのであれば、自分から話しかけられないクラスメート。
 顔は整っていないけど、話してみれば良い奴なんだと思えるようなタイプ。

「コレ……刀痛い」
 化け物は宝刀に指を差して言った。

 俺は化け物の頭部に刺さった”七度返りの宝刀”を凝視する。
 化け物の頭部に突き刺さった宝刀は、手を伸ばせば引き抜くことも出来そうな位置にある。

 化け物の素性は分からない。むやみに宝刀を抜くのは危険だと判断できる。
 しかし、このまま何もせずに山道を進んでいけば、必ず目的地に到着するだろう。

 俺は考えに考え抜き、化け物に対して問いかけた。
「なあ化け物。お前の名前は何て言うんだ?」
「お……れ、山……男」
「そうか。お前の名前は山男か。なあ山男、お前の体って、いつからそんな風になったんだ?」
「いつ……から……わからない」

 山男は分からないと言い、斜面に手のひらを押し当て、土をかき分けるようにして登り始めた。

 日本の全土ではないが、妖怪や怪異、化け物や物の怪という存在について調べたことがある。
 一説によると山男という妖怪は、友好的な一面を持つことが多い。
 酒や煙草といった嗜好品を与えさえすれば、危害を加えない温厚な妖怪だと知られている。

 けれども、俺が脳内で描いた山男という妖怪は、肉塊のような姿をしていない。
 コイツが本当に山男かどうかは分からないが、試してみる価値はありそうだ。

 猫屋敷宗一郎から奪い取った”煙草”をポケットから取り出し、彼のために用意していたライターを取り出す。

 煙草は大の苦手だが、こうなってしまったからには、何をしてでも脱出するしかない。
 そう思った俺は、宗一郎の見様見真似で煙草を口に咥え、ライターを使って先端に火をともした。

 勢いよく吸ったせいなのか、ゲホゲホとむせてしまった。

「酒吞童子様……煙草……吸うのですか?」
 山男が言った。
 
 酒呑童子。どこかで聞いたことがある名前だ。
 それがなんにせよ、俺は酒呑童子でなければ沙華姫でもない。

 誤解を生んでも困るし、これ以上に面倒な事になっては不味い。
 今はコイツの話に合わせておくか。
「そうだよ山男。俺は酒呑童子。煙草が大好きなのさ」
「煙草……少しだけ……吸わせて頂けませんか」

 ヨシッ。食らいついた。
 切欠が別人物への勘違いだったとしても、煙草に興味を持ってもらえれば上手くいくはず。

 宗一郎と山男の煙草の趣味が合えばいいのだが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 土肌の斜面の途中で動きを止めた山男。
 彼は俺を囲んでいた肉格子に隙間を作ったと思えば、真っ白な一本の腕を肉格子の中に入れた。

「お願いです酒呑童子様。ひと口だけでも吸わせてください」
 山男はそう言い、俺の顔から数センチ離れた距離で手のひらをパッと開いた。

 開かれた真っ白な手のひらに目を向ける。
 そこには、一つの瞳と弛んだ唇が存在していた。

 話が通じる相手だと甘く見ていたが、やはりコイツは化け物だ。

 どうして手のひらに唇と瞳があるのかは分からない。
 けれども死人の肉体を持つ俺と同様に、彼は浮世離れした存在であるのだ。

 ふかした煙草を指で摘み、山男が伸ばした手のひらへと差し出した。
「なあ山男。さっきも訊いたけど、どうしてこんな体になったんだ?」
「酒呑童子様。オデの体は”天青(てんせい)陰陽師様”によって清められました。助けて下さい」
 
 山男が伸ばした手のひらに目を向ける。
 視線の先には、悔しそうに煙草を咥え、歯を食い縛る口が存在していた。

 天青陰陽師とは誰のことを言っているのだろう。
 清めたというからには、陰陽師が山男に何かをしたのだろうか。

 体に何かをされたという事を考えると、やっぱり、この山男の姿は本来の姿ではないのだろう。

 俺が知っている陰陽師は、祓い屋の”楢野家”と怨霊使い”大和田家”だ。
 両者ともに八童子市の旧家の者であるが、心当たりの人間はもう一人いる。

 ソイツは倉敷家の庭に訪れた陰陽師だ。
「ほら歩き疲れただろ。一服休憩しな。それと、俺は酒呑童子じゃないよ。俺の名前は倉敷柚子葉。倉敷家の庶子だよ」
「クラシキ……ユズハ」

 真っ白な手のひらを器用に使い、手のひらの唇で煙草を咥えた山男。
 彼は何かを思い出したのか、腕格子から真っ白な腕を引き抜き、頭部と思われる部位に存在していた唇の一つに煙草を咥えた。

「おい山男。有難うは言わないの?」
 俺はそう言い、腕格子を掴んで飛び上がる。

 山男は再び斜面を登り始めた。
 何かを思い出したかのように必死に登り続ける。

 ここからでは見えないが、山男の態度は明らかに動揺しているらしく、何かに怯えているようにも思えた。

 急な斜面を駆け上がり、滝の音がした方へと全力で走っていく。

 何が彼を怯えさせているのかは分からない。
 このまま何もしなければ、化け物たちが巣食う場所に連れていかれるだろう。

 状況を打開するにはアレを引き抜くしかない。
 そう思った俺は、山男の頭部に突き刺さった錆びだらけの宝刀へと手を伸ばす。

 数センチの距離であったために、錆びた宝刀の鞘を握るのは容易だった。
 けれども、問題はここからだ。

 頭部の奥深くまで突き刺さった宝刀。
 それを片手で引き抜くには、相当な力が必要となるだろう。

 普通の女子高生でも、それを引き抜けと言われれば戸惑うだろうし。
 陽キャやヤンチャな男の子であるならば、乗りに乗った勢いで引き抜けるかもしれない。

 しかし、俺はそれらに該当しない生き物だ。
 普通の女子高生。いや、保健室登校の陰キャ女子高生である。

 手のひらからの出血は止まったが、宝刀を引き抜こうものであれば、手のひらの傷を広げてしまうのは確実だ。
「ええい、ままよ!」

 一刻の猶予も感じられずにいた俺は、新たな怪我を負うことを覚悟した。
 強引に無理やりに、腕格子に足を当て、体を仰け反らせ、宝刀の鞘を握る手のひらに力を込めた。

「天青様。遅れてしまって申し訳ありません」
 山男はそう言って、吊り橋から飛び跳ねた。

 山男が飛び跳ねた勢いで、宝刀を掴んでいた手のひらに力が入らなくなる。
 滝の入り江に降り立ったらしく、化け物の体液でヌルヌルだった俺の体は、山男が着地した衝撃で肉格子から飛び出た。

「こんにちは沙華姫。いや、今の時代では倉敷柚子葉さんと言うんだっけ?」
 何者かはそう言って俺の傍に近づき、大きく股を開いてしゃがみこんだ。

 声のする方を見上げる。
 そこには七度帰りの宝刀を手に持ち、縦縞の黒いスーツに身を包み、ストローハットを被った杖を持つ年配の伊達男がいた。