「...あの、マドラー落ちてたので代わりのもの要ります、か?」



ある日言葉を交わしたことがあった。ただ、一言だけ。手で受け皿をつくると、ほんの少し指が触れて、離れた。



「ありがとう、助かります」



頼むのはいつもブラックコーヒー。マドラーなんて使わない、きっと他の人が落としたものだ。



いや、そんなことはどうでも良かった。



初めて耳を通る声音が、渡された時に触れた指が、体に熱を帯びさせる。



見ず知らずの人に代わりにマドラー持ってくるとか、どんだけお人好しなんだ。



声、震えてるし。相当頑張ってくれたんだろうか。



咄嗟のことで目を合わせなかったことに、ひどくほっとした。



...多分、あの時目が合っていたらすぐに君へ落ちてしまったと思う。



それから俺はずっと、彼女の存在を消すことはできなかった。



右側にいる彼女を意識して体半分だけ熱を持っていたり、映画の内容が上手く入ってこなかったり。



恋って、こんなにも面倒なものなのか。



ここに居続ける限り、この想いはきっと残る。



そう、たとえ想いを寄せる彼女が俺の幼馴染を好きになったとしても。