神は畏れるものだ。



逃げるものでも、怖がるものでもない。



唐獅子様は土地の守り神。
贄が必要だとしても、この村を守ってくれているのだ。



たとえそれが言い伝えだろうと、恐怖の対象になろうと
「守る」という一文はけっして揺らがぬものなのだ。



そんな存在を"逃げなさい"と恐れるものとして見ている私たちは、一体なんなのだろう。



抱いているのは
畏れではなく恐れではないか。



冴の言う先人たちが、唐獅子様から逃げ続けていた未来が今ここにあるというのなら。



贄を攫うことが当たり前になった唐獅子様に対してできることなんてもうないのではないのか。



繋がり、繋がって
私が唐獅子様に攫われかけた事実だけが、ここに残った。



考えれば考えるほど、この村も唐獅子様も分からなくなってくる。