「やっぱりこれ、ただのシミだよ。ねえ、宗太くんもさわってみる?」
「僕はいいってば。わかったからもう帰ろう」

山本さんは平気そうだけど、嫌な予感がするんだ。
そしてこういう時の勘は、よく当たる。

「そんなに怖がることないのに。宗太くんも明日から、この道を通るといいよ」

オバケじゃなくても、不気味なことにかわりはないから、やっぱり通りたくないんだけどなあ。
でも山本さんもようやく飽きてくれたみたいで、これでやっと帰れる。

だけど、二人して歩き始めたその時。

「きゃっ!?」

突然声を上げた山本さん。同時に後ろに引っ張られたみたいに、姿が視界から消えたんだ。

え、いったいどうしたの? だけど慌ててふりかえって、僕は息をのんだ。

目に飛び込んできたのは、あせった様子の山本さん。 そして塀のシミから、まるで飛び出す絵本のように伸びた、二本の真っ赤な腕だった。

な、何あれ? 
まるで血に染まったみたいに赤いその腕は、山本さんの両肩をがっしりとつかんでいる。

そして山本さんはさっきまで笑っていたのが嘘みたいに、恐怖で真っ青になっていた。

「そ、宗太くん、助けてぇっ!」

目の前の光景が信じられずに、ついボーッと眺めてしまっていたけど、現実に引き戻される。

よく見れば山本さんの体は、引っぱられるようにずるずると後退してるじゃないか。
あの赤い手が山本さんを、シミの中へと引きずり込んでいるんだ。

「や、山本さん、早く逃げて!」
「ムリ! 手が放してくれない!」

弱々しい声をあげながら、泣きそうな顔で首を横にふる。
そうしている間にも体はどんどんシミへと引っ張られていって。
ついに右肩が吸い込まれるように、塀の中へと吸い込まれた。

「何なのこれ? どうなってるの⁉」

そんなこと、僕に聞かれてもわからない。 
底無し沼にはまるのって、あんな感じなのかも。

もがいても抜け出せずに、ズブズブとシミの中に沈んでいく山本さん。
もしも全身が飲み込まれたら、どうなっちゃうだろう。

相手は正体もわからない怪物。
足はガクガク震えていて、本当は逃げ出したかった。
けど、やっぱり放っておけない。

「うあぁぁぁぁーーっ! や、山本さんを放せー!」

僕は夢中になって山本さんをこっちに引っ張って。するとシミにのまれてかけていた体が、大きく姿を現した。

だけど完全に逃れられたわけじゃない。
向こうも逃すまいと、さらに強く引っ張ってくる。

「い、痛い!」
「ごめん、だけど少しだけ我慢して。今手を緩めたら、今度こそのまれちゃう」
「そ、それは困る。お願い、絶対放さないで!」

痛みで顔を歪ませながらも、必死に叫ぶ山本さん。

昔話で、こんなのあったっけ。自分こそがこの子の母親だと主張する二人のお母さんが、一人の子供を引っ張りあうって話が。

あのお話では痛がる子供を見て先に手を放した方が持つ本当のお母さんだったけど、今回は状況が違う。山本さんの言う通り、絶対に手を放しちゃいけないんだ。

だけど向こうの力も強くて、なかなか助けられない。
山本さんの体力ももう限界だし、どうすればいいの? どうすれば……。

「迷う者、荒ぶる魂、鎮まりたまえ……滅!」

パニックになりかけていたその時、聞こえてきたのは力強い声だった。