「痛ってー! お前、何するんだよ!?」

横になったまま怒鳴るケンタくん。
だけどごめん、緊急事態なの。

ケンタくんを突き飛ばしたことで、狼の爪は彼をおそうことなく空を切った。
だけどそれも一時しのぎにすぎない。狼はさらに怒りを増したように目を光らせて、ギロリとにらんでくる。ケンタくんでなく、わたしの方を……。

って、ええっ! どうしてわたしをにらんでるの⁉

どうやらお地蔵さまを蹴ったケンタくんよりも、邪魔をしたわたしを標的にしたみたい。
た、たぶんわたしが見えてるって気づいたんだ。

こういう人外の存在は見えてるって分かったら、やたらしつこく絡んでくることがある。
きっとこの狼もそのタイプ。ケンタくんを助けたことで、自分がピンチになっちゃうなんて。

と、とにかく、まずは逃げないと。

「……おい、聞いてるのかよ転校生!」
焦っていたら、いつの間にか立ち上がっていたケンタくんが耳元で叫んできた。

「え? な、何?」
「何って、マジで話聞いてなかったのかよ? いきなり突き飛ばしてきて、何考えてんだって言ってんだ!」
「ごめん。だけど今は、それどころじゃないの。このままじゃ、モヤが化けた狼が……」
「訳わかんねー! また幽霊や化け物が出たって言いたいのかよ。いい加減にしろよな!」

ダメ。必死の説明も、まるで聞いてくれない。
そんなことを言っている間にも、狼はするどいツメを光らせながら駆けてくる。もう話をしている場合じゃないよ!

後はもう考えるよりも先に体が動いて。
狼にもケンタくんにも背を向けて走り出した。

「あ、待てこら!」
「逃げるなんてヒキョウだぞ!」

ケンタくんたちは怒ったけど、待ってなんていられない。
もしもわたしがやられちゃったら、きっと次はケンタくんたちが標的にされる。
だけどうまく引き付けて逃げることができたら、みんな助かるかも。

それができるのは、アレを見ることができるわたしだけ。
だったら、怖くてもやらなくちゃ。

田んぼの間に広がる道を駆け抜けて。チラリと後ろを振り返ると、狼の姿をしたモヤは真っ赤な目をぎらつかせながら、追いかけてきている。

あんなのに捕まったら、どうなるかわからない。
だけど全力で走っても、差は縮まって行く。

モヤの気配はすぐ背後まで迫ってきて、もうダメ。追いつかれちゃう。

恐怖で頭の中がいっぱいになって、目をつむったその時。

「滅!」

不意に誰かの声が聞こえたと思ったら、後ろにあった気配がすっと薄くなった。

何が起きたのか分からず、慌てて足を止めて振り返と、そこにはさっきまでわたしを追っていたモヤでできた狼が、地面に倒れていた。

そしてそのすぐ横には、白いシャツを着てウェーブのかかった黒髪を背中まで伸ばした、二十代くらいの女の人が立っていて、倒れている狼を見下ろしていた。

……見下ろす?

おかしい。
さっきケンタくんたちがそうだったみたいに、あのモヤの狼はわたし以外の人には見えないはずなのに。

だけど女の人の目は明らかに狼をとらえていて。
かと思ったらそっと視線を反らして、こっちを見てニコッと笑った。

「やあ、君も見える子なのかな?」