落ち着かない気持ちのままではあったけど、それなりに楽しく過ごせていた。
たまに一緒に夕飯を作って食べたり、その時お互いの話をしたりして、片桐さんが実は家出して今のアパートに住んでる話を聞いた時は驚いた。
ずっと親の決めたレールの上を歩いて来たけど高校卒業が迫った時、このままだとダメになると思ったらしい。
そしてそのまま宛もなく家を出て、バイトを掛け持ちして夢だった絵を描きながら今があるんだとか。

『すごい』と尊敬の目で見る私に、『大したことないよ。勝手なことをして親不孝者だよ俺は』と自嘲気味に笑ってた顔が印象的だった。

『でも、それでも俺は今の俺が好きだ。絵を描ける、それ以上に幸せなことはない。まあ、ずっと貧乏だけど』
『素敵です。お金も大事だけど、やりたいことをやって生きていけるって簡単そうで簡単じゃないから。きっと誰もができることじゃない。だからそれをやってる片桐さん素敵です!』

かあああと首まで真っ赤になって顔を隠してしまって、せっかく照れた顔見られるチャンスだったのにと思ったことは秘密だ。
片桐さんのこと、知れば知るほど、さらに知りたくなっていく。
とんだ災難だったけれど、これはこれで良かったかもと思いはじめていた。

とある日、講義を終えてバイトに向かおうと思って空を見上げたら、ポツポツと雨が降ってきた。

「ああ、間に合わなかったか」

天気予報を見るのを忘れて、昼過ぎ辺りから雲行きは怪しいなと思いつつ、バイト先まで降らないでいてくれたら良いくらいだった。
けれどこれは本降りになりそうで風まで強くなってきて、薄着の身に染みる。

「でも時間もないしなぁ」

仕方ない。行くか、と一歩足を出した時「待って!」と誰かに呼び止められた気がした。 声がしたんだけど、あれ? 違った?
キョロキョロと周りを見ていると、「間宮さん!」とほらやっぱり!

振り向いた先に灰色の傘をさしてやってくる、あれは片桐さんだ。
え、なんで?

「片桐さん!?」
「間に合った! 傘持っていってないと思って」
「え、それで来てくれたの?」
「うん? だって夕方からバイトだって言ってたから、こんな雨に濡れて行ったら風邪引くだろ」
「………」


やばいっ、今私すごくニヤけてると思う。
片桐さんの優しさに嬉しすぎて、なんかよく分からない感情が湧き上がって泣きそう。


「間宮さん?」
「っ、ありがとうございます! あれ、でも傘一本?」
「え!? ええええ? 嘘、あーーーーなにやってんだ俺は……」


片桐さんは今さしてる傘しか持って来ていなかった。
愕然と膝に手をついてしまった片桐さん。 ああそんなに落ち込まないでってあわあわしちゃう。
落ち込む片桐さんと、あわあわしてる女子大生なんの絵面だこれは。


「ん。はい、持って行って」
「えええ!? 駄目です! 片桐さんが濡れる!」
「俺は走って帰るし、帰ったらすぐ風呂入るから大丈夫。忘れてきた俺が悪いんだから持っていって」
「いやそんな事言ったら、今朝天気予報を確認しなかった私の方が、」

屋根の下で傘が互いの間を行き来する。
痺れを切らした片桐さんは、ズイッと傘を押し付けて言った。

「女の子を濡らすわけいかないから。お願い言うこと聞いて」

きゅっと眉を下げて切なげな視線が、雨も相まって儚くて綺麗だった。
その顔に見惚れてしまってるうちに片桐さんは「じゃ、頑張って!」と雨の中を走って行ってしまう。

「ああっ」

よく見れば足元はサンダルで、バシャバシャと雨水を跳ねてめちゃくちゃ濡らしてる。
風邪引かないでくださいよ。

「ありがとう。片桐さん」