目の前には愛する人が立っていた。
息が止まってしまった。
現実は時として残酷だ。
彩春も立ち尽くしていた。
世の中に二人だけしか存在しないような不思議な感覚を打ち破ったのは、「お姉ちゃん」というあやちゃんの言葉だった。

「この人が朱夏の彼で私と母さんに紹介したい人なの？」

本当なら彩春との結婚の承諾をもらいにくるはずだった

「この人が朱夏の恋人ってこと」

恋人じゃない、名前すらまともに知らない子だ。

「だとしたら、特に挨拶もいらないし、もし私が反対したとしても朱夏のお腹にはこの男の子供がいるんでしょ、だったら私はなにも話すことは無いし、これからのことは二人でよく話し合って。ただ一つ、大学だけは卒業して、私の苦労を全て水に流すことはしないで」

オレが傷つけてしまった。
愛する人、今まで悠也と呼んでくれていたのに“この男”だ。
何も考えられない。
ただ、呆然と立っていると彩春があの指輪を突き返してくる。受け取りたくない。
だけど、力を込めて押し付けてくる指輪を受け取らないと彩春の表情が固くそして苦しそうに見えて終わらせないといけないと思った。
彩春のために選んだ指輪
「妹まで裏切ったら許さないから」

その一言が心に突き刺さる。
体中から力が抜けて放心していると彩春がオレの胸を押した拍子に無様に尻餅をついた。

玄関先で指輪を持ったまま立ち上がれずにいた。

「細矢さん、お姉ちゃんのこと知っているんですか」

あやちゃんの顔からは血の気が引いていた。

「婚約をしていた、近々ご家族に挨拶に来るつもりだった」
「妹さんが大学を卒業したら結婚する予定だった」
「合コンなんて行きたくなかったのに、菅に無理やり・・・そんなことを君に話しても仕方が無いよね。自業自得なんだ」
「お腹の子には罪はないから、ちゃんと責任はとるし、いい父親になれるように頑張るよ」
「だけど、今日は君のお母さんに挨拶はできそうもない。また、日を改める」

あやちゃんの顔を見るのも嫌だった。
ずっと下を向いたままゆっくり立ち上がるとかいだんをゆっくりと降りて自宅に向かった。

背後であやちゃんが「ごめんなさい」と泣いている声が聞こえた。