連絡先を交換したあと、廉佑は手を振り振り元の道を戻っていく。
その姿が見えなくなってから、芙美乃はエントランスに入って、郵便受けの鍵を開けた。
廉佑の言葉通り、「速達」の朱書きがしてあるクリムトの封筒が入っていた。
いつもよりも分厚いのが気になり、その場で開封する。

『佐伯芙美乃様

芙美乃さんがどんな声だったのか、どんな風に笑ったのか、だんだん思い出せなくなっています。
会いたいです。
次の対局でそちらに伺います。
連絡ください。
080-○○○○-○○○○

生駒廉佑』

たったそれだけ記されていた。

二枚目の便箋は白紙。
三枚目の便箋も白紙。
四枚目も、五枚目も、六枚目も、……。

手紙が一枚で終わった場合、マナーとして白紙の便箋を添えて送ることは知っているけれど、こうも白紙が多い理由は思い当たらない。
照明に透かしてみても隠されたメッセージは見つけられなかった。

「明日、聞いてみようかな」

何でも聞いたら何でも答えてもらえるそうだから。


春雨ヌードルにお湯を注いで、コブサラダから食べ始める。
咀嚼しながら見つめる時計は十時二十六分。
朝の七時まで、あと八時間と三十四分。

気持ちがふわふわと落ち着かず、濃いドレッシングなのに何の味も感じられなかった。
あと八時間と三十三分。

『今胸がいっぱいなので』

芙美乃も食事が喉を通っていかなかった。
空っぽのはずの胃に詰まっているこれは、何なのだろう。
あと八時間と――。

突然呼び出し音が鳴った。
画面に表示された「生駒廉佑」の文字に、芙美乃は持っていたプラスチックのフォークを取り落とした。

「……はい?」

『もしもし、芙美乃さん?』

その響きは、想像していた何倍も、何千倍も……。
廉佑には見えないはずの赤い頬を手で覆う。

「……はい」

『ホテルの部屋に着きました。さっき別れてから何分くらいかな』

「二十分、くらいです」

『まだ二十分……。長いな。全然明日になる気がしない』

早く朝にならないかな、と廉佑はため息をつく。
窓から駅の方向を見つめながら芙美乃は笑った。

「私も同じこと思ってました」

今夜はきっと眠れない。
夏至を過ぎたばかりの夜が、こんなにも長いなんて。

「あ、ねえ生駒さん。お手紙読んだんですけど、白紙の便箋が七枚もあって――」

それは長い長い夏の夜の、幸福なはじまり。



end.