廉佑は立ち上がり、芙美乃のすぐ隣に移動した。
その体温で、空気が変わる。

「姿も見られない俺の方が一方通行だと思うけど」

「見てると会いたくなるんです」

「会いにきました。感想聞いても?」

芙美乃は二回深呼吸をした。
廉佑と会った瞬間からずっと呼吸が浅くて、ずっと息苦しい。
深呼吸も、さほど効果はなかった。

「手紙の生駒さんも、中継で見る生駒さんも、実際に会った生駒さんも、全部少しずつ違って……全部すき」

廉佑は天を仰ぐ。
楓の枝葉が夜空を遮っていた。

「今日はもう帰ります」

そう言って目を閉じた。

「予想を越える返事をいただけて、今胸がいっぱいなので」

ふうっと息をついて、芙美乃の手にあるビニール袋に視線を落とす。

「疲れてるところ引き留めてごめん。ご飯もまだだよね。家まで送る」

手ぶらだった廉佑は芙美乃のスーツケースを引いて歩く。

今朝はたくさんの人に見送られたため「ここに残る」と言い出せず、一度新幹線に乗り、途中の駅で降りて引き返してきたとのことだった。
駅前のビジネスホテルに宿をとって、荷物は置いてきたらしい。

「遅くなりましたけど、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「これで一勝二敗ですか」

「うん。昨日の勝ちは大きい。これで流れが変わることもあるし」

棋聖戦は五番勝負なので、あと一敗したらタイトルを防衛されてしまうことに変わりはない。
けれど番勝負独特の流れというものがあり、先に二勝した場合、そのままストレートで勝てないと気持ち的に追われるのだという。
特に防衛は勝っても現状維持、負けたら失冠。
モチベーションの維持が難しいのだそうだ。

「勝ち切る、ってとっても難しいんだよ。追う側は精一杯やるだけだから気は楽だよね」

あっという間に着いたアパートの前で、廉佑は「じゃあ、また」ときっぱり言った。
芙美乃の方は、はい、と消え入りそうな声で返す。

「明日、仕事は何時から?」

「八時半です」

「じゃあ、七時に迎えに来ます。どこかで一緒に朝ごはん食べましょう」

「はい!」