もう、キスだけじゃ足んない。



「じゃあ撮影はじめまーす!」


スタッフの声がかかった瞬間。


「胡桃じゃなくて……お嬢様」


「えっ……!?」
『お嬢様!?』


「今からは、お嬢様の許嫁、だから。
よろしくな」


グイッとネクタイを緩めて、胡桃を見つめる。


『お、お嬢様……』


そう。胡桃は今からお嬢様。


呼び方を変える。


たぶんこのほうが役に入りやすい。

ちょっとでも気を抜いたら、ふつうに彼女として接してしまいたくなるから。


胡桃のため、と思いつつも、本当は自分のため。

暴走しないように、抑えて、抑えて。


『っ……遥、かっこいい、』


んんっ……かわいい。


心の声聞こえてるんですけど!?

ネクタイを緩めただけなのに、頬をほんのり赤く染めて、目を伏せる胡桃。

グッと頬が緩みそうになるのを我慢して、そっと胡桃の体を反転させる。


『遥……っ』


「前向いて。
今からは許嫁、だよ」


「本番行きまーす!
5秒前、4、3、2……」



瞬間。ジーッとカメラが回って。

現場にいる全員が俺たちに注目しているのが分かる。


「お嬢様」

『っ、なっ……!?』


うしろから、ぎゅうっと抱きしめた腕の中。

胡桃にしか聞こえないくらいの小さな声で耳元で囁く。


「大丈夫だよ。落ちついて。
驚く演技して」


『う、うん……』


「ど、どうしたの……?」


一応友達、だから。

いくら抱きついても、じゃれついたように感じるってお嬢様は思うと考えたのか、胡桃が俺の腕をポンポンと叩く。


ちょっとぎこちないけど、そこもかわいい……じゃなくて。