「僕も呼び方を変えてもいいですか?」

「沙羅姉ちゃんて?」


 私の返しに、葵君は今度はすねるように唇を尖らせた。


「確かに、沙羅姉ちゃんて呼んでました。でも、僕、もう高校生です」


 葵君の真剣な瞳が私を見つめてくる。


「僕、沙羅さんって呼びたいです」


 沙羅さん。

 初めて聞く呼び方に、私の心臓がとくんとはねた。


「ダメですか?」


 そんな顔で言われて、断れる人がいるんだろうか。

 私は心臓を落ち着かせるように左手を胸にあてた。

 『沙羅さん』

 なんて素敵な響きなんだろう。


「だめじゃない。もちろん、いいよ。沙羅さんで」

「やった!」


 葵君が頬を紅く染めて笑う。私も幸せな気持ちになった。


「沙羅さん」


 葵君が私を呼ぶ。私はどきどきしながら、


「な、なあに?」


 と答えた。


「呼んでみただけです」

「もう! 変な葵君!」


 昔に戻ったような、それでいてまた違うような不思議な感じ。

 葵君が呼ぶだけで自分の名前が特別な響きを持つ。なんて幸せなんだろう。
 
 家のドアが見えてきた。私は途端に悲しくなる。葵君とこうしてずっと歩いていたくなる。葵君はどう思っているのかな。


「あ、着きましたね」 


 葵君が言った。私は小さくため息をついて、葵君の方を向いた。葵君は首を傾げる。

 そうだよね。家に着いて残念に思うのは私だけ。


「葵君来るの久しぶりだから、お母さんびっくりするよ、きっと」


 私の言葉に葵君は笑って、


「びっくりさせちゃいましょう」


 と言った。