「沙羅、王子だよ?」


 ともちゃんの声に、私はうん、と返事をしたけれど葵君の方を見ようとはしなかった。

「王子、気づいたよ?」


 私は歩く速度を緩めない。


「聞いてる、沙羅?」

「聞いてるよ」

「……王子悲しそうにこっち見てるよ?」


 葵君の傷ついたような表情、想像できる。

 でも。


「行こう、次、音楽室だよ」


 ともちゃんは私の顔を探るように見た。


「沙羅? なんか今日、変だよ?」

「変じゃないよ。早く行こう」


 ともちゃんは納得がいかない顔をして私の隣を歩いている。


「何かあったの? 王子と」

「何もないよ。ただ、自分が勘違いしてるのに気づいただけだよ」


 私は自分の切なさを振り払うように言った。


「勘違い?」

「そう、勘違い」

「わかんないけど、王子、傷ついたみたいだったよ?」


 傷ついた。

 葵君、本当に傷ついたのかな。私に無視されて悲しいと思ったのかな。

 それさえもう分からない。


「らしくないと思うけど」


 ともちゃんの声には責める響きがあった。


「そうかもしれないね」


 自分の声が冷たく響いた。


「ちょっと、沙羅! ちゃんとこっち向いて言いなよ!」


 ともちゃんが私の肩を掴んで自分の方を向かせようとした。

 いつのまにか溜まっていた涙がこぼれる。


「沙羅?!」

「ごめん、もういいの。もう無理なの」

「分からないよ。なんで急に?」


 困惑したともちゃんの言葉。


「だって私と王子じゃ違いすぎるから」

「今更なに言ってんの? そんなの前から分かってたんじゃないの?」

「ううん。私、本当は分かっていなかったんだ。私…… 馬鹿だった!」


 熱い涙が頬を伝う感覚がある。

 ともちゃんはそんな私の涙をハンカチを取り出して拭った。そしてため息をついた。


「私にはよくわからないけど、ああいう態度はどうかと思うよ? 王子が悪いんじゃないんでしょ?」

「そうだけど! これ以上葵君を好きになりたくない!」

「ふーん」


 ともちゃんの真剣な目が私を射抜くように見た。


「もう一度言うね。沙羅らしくない気がするよ。でも私は沙羅が一時的に不安定なだけだと思っとくね。きっとそうだから」


 ともちゃんの真っ直ぐな視線に私は目を伏せた。

 葵君を無視したことは私に罪悪感という棘を残している。

 わかっている。自分勝手だということ。

 でもそれ以上に自分が傷つきたくなかった。


「まあ、いいや。この話はおしまい。音楽室入ろう」


 ともちゃんの言葉に私は頷いて、音楽室に入った。