「沙羅さん?」


 葵君が私の目を覗き込む。
 
 葵君の顔が近い。近過ぎる。どきどきが高まった。


「う、うん?」


 声が裏返る。私の返事に葵君の顔が曇った。


「あ、もしかして嫌でしたか? それなら僕、傘出します」

 
 ごそごそとスクールバッグから折りたたみ傘をだそうとする葵君。


「違うの!」


 思った以上に大きな声が出て、自分でびっくりした。

 葵君は不思議そうに私を見て首を傾げた。葵君は取り出した折りたたみ傘を所在なさげに一回しして、もう一度スクールバッグに入れる。


「沙羅さんがいいなら、このまま駅まで歩きますけどいいですか?」

「うん。大丈夫。ごめんね、大きな声出して」


 葵君は笑う。


「自分の声に驚くときってありますよね」

「葵君でも大きな声出すことあるの?」

「秘密です」


 葵君は楽しげだ。


「ずっと沙羅さんと話したかった……。なかなか二人になれなかったから、今日は良かった!」


 心底嬉しそうに葵君は私に笑いかけた。どこまでも無邪気な葵君にまた心臓がとくんと鳴る。


「わ、私も葵君と話したかったよ」


 言って恥ずかしくなって下を向く。

 意識しちゃだめだ。葵君は普通なんだから、私も普通に……。

 と、葵君の足が止まった。


「葵君?」

「嬉しいなっ!」


 とびきり幸せそうな葵君の笑顔。


「沙羅さんもそう思っててくれたんですね!」


 そんな顔で笑われたら、私、どうしていいか分からないよ。


「うん……」


 再び私たちは歩き出す。


「沙羅さん。僕、ショートプログラムの曲をショパンの『スケルツォ』二番に変えました」

「そうなんだ!」


 私が練習している『スケルツォ』の二番を葵君も練習してるんだ。


「難しいですけど、変えて良かったです。今の方がずっと僕らしく滑れている気がします」

「そっか。良かったね」

「はいっ!」


 葵君の笑顔につられて私も笑顔になった。