『手の指先へのキス』



とあるデパートの中。

私達は楽しくデートをしていた。

お互い他愛ない話題を提供して笑い合う。

すると突然彼の表情が凍り付いた。

私が彼の異変に彼と同じ方向を向ければ,そこにいたのは女性。

誰……なんだろう。

私はチクリとした胸に気づかないふりをして彼と一緒にその人を見つめる。

すると相手も私達,と言うよりも彼に気づいて,嬉しそうに手を振って駆け寄ってきた。

かつかつと音が響く。

茶色く染められ巻かれた髪の毛。

濃いけれどケバさを感じさせない化粧と綺麗な顔。

店でやってもらったのであろうネイル。赤いヒール。

元カノ……とか?



「ねぇ? ここで会ったのも何かの縁だと思わない? 私丁度この間彼氏と別れたのよ…前の話,考え直してくれないかしら」



目の前に来るなり話し出すその人。

待ってお姉さん,情報が多すぎます。

つまり,彼と昔何かしらがあって,その上でせっかくだから付き合ってってことでいい?

意思確認のために彼を見ると,明らかに嫌そうな顔をしていた。

それどころか体調が悪そうにも見える。

2人の関係は分からない。

でも,今彼が嫌がっているならそれでいい。

私はすっと息を吸い込んだ。



ーお姉さん

「あら,なに? ってか誰? 今は彼と大事な話をしているのよ。少し待っていてくれるかしら」

ー私は,彼の彼女です



だから,早く諦めてください。

そんな気持ちを込めた。

だけど,彼女には伝わらなかったみたいで。



「だからなんだと言うの? 男も女も気が変わるのは一瞬よ」



私にそんなことをいった。



ーそう,だとして。彼はあなたを明らかに嫌がっています。気が変わるとしても,あなたには一生ない。それすら気づけないあなたには

「何を!」



彼女が怒りに声をあげる。

でも,そんなの私には関係ない。
今私の目に写っているのは彼だけ。

あぁ,ムカつく。

彼にこんな顔をさせるなんて。



ー彼は,中古の安売りセール品ではありません

「あなた一体なんの話をしているの? ほんとに失礼ね。そんなんじゃすぐにフラれるわ」



目の前の女性は,怒りを鎮めるためか私を鼻で笑う。

そして彼に視線を移した。



「ね? こんな子よりも私の方がいいでしょ?」



うふんと強気に笑う彼女に,彼は口を開こうとして,私が止める。



ー私の彼氏は,目に入ったからと手に入れられるような安い男ではありません! 例え中古だったとしても,あなたには絶対譲りません。私が,私が一生大事にします!

絶対に。
だから勘違いしないで。



「さっきからうるっさいのよ! 生意気言わないで…」



顔をカッと赤くした彼女は,唇を噛んで片手を振り上げた。

爪,長いし,めっちゃ振りかぶるし…当たったら痛そう。
でも,大丈夫,ここで逃げちゃだめ。



「なに…するの……」



思った通り,私に痛みはやって来ない。

代わりに別の場所でパシッと音がして,私はゆっくりと瞬きを数回した。

ほっと息を吐いて,目の前の光景を見る。

彼が,彼女の腕を軽く捻りあげていた。

ぼとぼとと彼女の買い物バックが落ちる。



「…止めてくれる? この子の言う通り俺はあなたが嫌いだ。だからあなたのものにはならない。一生ね。それに,あなたが手をあげようとした子は俺の彼女。それも,あなたを拒否した俺が自分から選んだたった一人の女の子」



傷つけるのは許さない。

そうハッキリ言う彼に,私も驚いた。

そこまで言ってくれるなんて思っていなかったから。

彼女はわなわなと震えて,買い物バックを拾うと私達を睨み付ける。



「本当になんなのよあんた達。もういいわ,彼の事も顔以外どこもタイプじゃないし,いらない。他を当たった方がましだわ」



そしてかつかつと去っていった。



ー……元カノ?



私は控えめに尋ねる。



「冗談。あと1ついっておくと彼女なんて過去にいたことないよ」



何でもないみたいにいう彼に,私は唖然とした。

そんな,こんなにかっこよくて優しいのに?
少し出掛けただけですぐ逆ナンされるのに?

 

「彼女は,俺の親友を弄んだ挙げ句,それをなんとも思わないどころか俺に近づこうとしてきて,ちょっと生理的に無理なんだよね。それで彼女に助けられるなんてカッコ悪いな,俺」



あんな人のために眉を下げる彼を見て,私はまたムカムカとしてくる。



ー十分すぎる位かっこよかったよ! 彼氏ならちゃんと私を見てよ。私の彼氏をバカにしないで!



私の彼氏は,あなたは,



ーすっごく,かっこいいんだからっほんとに,ほんとに…! うぅぅヒック,ふぅっ



バカに,しないでよ。



「…うん。ごめん」



ぎゅっと私の背中に回る腕。

私は彼の胸にしがみつくようにして泣く。

絶対,そんなのおかしいのに,彼は黙って受け入れてくれた。



ーごっごめん



自分の状況を俯瞰し,恥ずかしくなって見上げると,もう彼はいつも通り優しい瞳で私だけをとらえていた。




「ありがとう」




彼が私の涙を親指の腹で優しく拭う。



「かっこよかったよ」



彼はそう言って,私の片手を持ち上げる。

そして,私の指先にキスを落とした。


             ー『称賛·感謝』