立ち止まって日比野くんに感謝の意を述べる。
いつものごとく頷いてすぐに背を向けるのかと思いきや、彼は黙って私の顔を見つめた。
「……どうしたの?」
沈黙に耐えられず、そう問うた。
凪いだ水面のように静かな彼の瞳が怖くて、けれども危険なものから目を逸らせないのは人間の本能である。
「此花さん。俺のこと、いつから知ってた?」
「いつって……多分、二年の時には何となく顔と名前知ってたと思う、けど」
「何で?」
「え、生徒会長になるとか言われてたし」
ふうん、と彼が半笑いじみた相槌を打つ。諦めたような、小馬鹿にしているようなニュアンス。
「……まあいいや。もう来ないといいね、ストーカー」
それが最後の挨拶だったらしく、日比野くんは今度こそ踵を返した。
結局、彼の質問の意図も、無機質な瞳の理由も分からずじまいだ。分からないことが多すぎて、日比野くんを構成しているのは99%の不可解と1%の水分なのではないかと真剣に考えてしまうほどには謎めいている。
これ以上考えても明快な結論が導き出せるとも思えなかったので、私も大人しくアパートの階段をのぼることにした。



