私の上から退いて、日比野くんが嘆く。制服を正す衣擦れの音がした。
ううん、違う。絢斗はしつこくて鈍くさい。たった一度で何かを諦めたり投げ出したりすることはないのだ。
今こんなにもあっさり立ち去ったのは、再会してから、私が何度も彼を拒んだからだろう。でも、多分それだけじゃない。
傷ついたから、泣き出してしまう前にいなくなったのだ。私は、私の意思で、行動で、言葉で、明確に絢斗を傷つけた。
「ねえ。あのストーカーのこと、好きだった?」
「……まさか」
未だ床に横たわって起き上がる気配のない私に、日比野くんが問うてくる。その口調は明らかに面白がっていた。
「じゃあ何でそんな顔をしてるんだろうね。奈々ちゃんは」
どんな顔、と聞き返す前に、彼は答えを寄越す。
「まるで浮気現場を見られた彼女。やめてよ、完全に同意なんだからさ。ていうかむしろそっちから誘ってきたんでしょ?」
好きなんだね、可哀想。
くすくすと肩を揺らす日比野くんに、押し黙った。
恋愛感情という定義でいうのなら、私は絢斗のことを好きではない。胸が苦しくなったりときめいたり、熱くなったり、そういう情熱を帯びた感情を私は彼に抱いていない。
ただ一つ言えるのは、絢斗の傷ついた顔を見て、私が傷ついている。それだけだ。
でも、そのそれだけが抜けない棘のように深く突き刺さって、私を巣食っていた。



