絶句した。否、どちらかというと絶句したのは絢斗の方だった。
彼の横顔を盗み見る。写真のように固まって見える。


「……僕はただ、奈々ちゃんと一緒にいられれば、それでいいです」


大きな感情の揺れは見当たらない。それがどこか不思議で怖かった。キスで動揺する絢斗のことだから、もっと驚いて困惑して恥ずかしがると思っていたのに。
いっそ静かなくらい、絢斗は真っ直ぐな声で母にそう返した。


「無理だよ」


それ以上に端的で無情な単語が母の口から発せられる。


「男と女がプラトニックでいられるわけがない。一緒にいるだけなんて、そんなの結婚でもしない限り無理な話なの」


母の経験則なのかもしれない。あるいは、彼女の中の常識なのかもしれない。
私も今まで当たり前のように思っていた。清い交際なんて存在しない、もしあるとするなら、そうしている自分たちに酔っているだけだ。

それなのに、どうして絢斗のことは無意識に「例外」としていたのだろう。
お互いを大切に想っていれば、道を踏み外さなければ、私たちはずっと一緒にいられるなんて。なぜ確証もないのに信じていたのだろう。

私が女として生まれ、絢斗が男として生まれたその時から、私たちは別離が決まっていた。人間の本能に組み込まれた子孫繫栄という名のもとに。


「……絢斗?」


やけに静かで落ち着いている絢斗に違和感を覚え、彼の名前を呼ぶ。


「奈々ちゃん。僕、帰るね」


絢斗が荷物をまとめ始める。寝癖がぽわぽわと揺れている。


「お邪魔しました」


丁寧にお辞儀をして玄関ドアを開けた彼とは、一度も目が合わなかった。