OL 万千湖さんのささやかなる野望

 安定の歌い出しで、後半に行っても音もブレない。

「98.731。
 『マイスター』より下がってしまったな。

 駿佑」

 ああ、と駿佑が雁夜に渡されたマイクを受け取った。

 そういえば、そもそも、課長はこの曲ご存知なんでしょうかね?

 この間、カラオケで聴いただけなんじゃ……と万千湖は思っていたが。

 立ち上がり、マイクを手にした駿佑は、第九を歌ったときのように、すっと背筋を伸ばした。

 一回り大きくなったように見える。

「まずいな……」

 向かいのソファに座る雁夜が呟いた。

「駿佑の歌い方、正統派だから、点が出やすいかもしれない」

 いやでも、第九は何度も練習されてたんでしょうけど。
 課長が『涙のショコラティエ』を練習してるとも思えないし。

 そもそも、ちゃんと曲を知っているのかさえ……。

 前奏が終わり、駿佑は歌い出した。

 わずかに上下する首の動きにより、彼が正確にリズムを刻んでいることがわかる。

 っていうか、目を閉じてますが、歌詞覚えてるんですかっ?

 いや、それ以前に、

 ……これ……なんの曲でしたっけね?
という感じに、駿佑は『涙のショコラティエ』を荘厳に歌い上げた。