『雅也・・・。』


聞いたこともないような、その冷たい声音に、驚く明奈。


「最初から、そのつもりだったんだろ?」


『えっ?』


「すぐに断ると角が立つから、喜んだフリして、当日ドタキャンするつもりだったんだろ?仕事だって言えば、俺が何にも言えないと思って。」


『雅也、何を急に言い出してるの・・・?』


「なぜ俺が今日、君を誘ったのか、その理由をわかってないもんな。」


『えっ・・・?』


「今日が俺達にとって、どんなに大切な日か、君はとうとう思い出さなかった。去年までの君なら、考えられないことだ。」


その言葉に、一瞬考えこんだ明奈が、次の瞬間、息を呑んだのが、雅也にははっきり伝わって来た。


『雅也、私・・・。』


「今の君にとって、あの男との時間は、そのくらい大事だということなんだな。」


『ちょっと、雅也、あの男って・・・。』


しどろもどろに何かを言おうとする明奈に


「一縷の望みに賭けてたんだけど、無駄だったよ。」


そう告げると、彼女が悲鳴のような声で呼び掛けて来るのを無視して、雅也は携帯を切った。そして、電源を落とし、胸ポケットにしまうと、ボストンバックを手に歩き出した。


一方、血相を変えた明奈が帰宅した時、家に灯りはなかった。


「雅也!」


懸命に呼びかけても返事はない。途中で何度電話しても、呼び出し音も鳴らずに留守電になり、LINEに既読が付くこともなかった。


「雅也・・・。」


絶望に沈む明奈の目に、ふとテーブルの上の書類が止まる。緑色のその用紙には既に彼女の姓名住所以外の全ての欄が記入されており、その横には携帯で撮られたであろう彼女と男が仲睦まじく歩く写真、更には一冊の預金通帳が添えられていた。


明奈の収入から、将来の為に貯蓄されているはずの通帳。しかし、預金はいつしか止まり、逆に使い込まれるようになっていた。それは、彼女の変化と裏切りを如実に表していた。


「雅也、違う、違うの・・・ごめんなさい。大切な私たちの結婚記念日を忘れるなんて、私、どうかしてた。本当にごめんなさい。でもこれだけは信じて、私が愛しているのは、雅也だけ。本当に雅也だけなんだよ・・・。」


だが、いくらここで訴えても、その言葉は雅也には届かない。明奈は泣き崩れた。