既にあらかた片付いていたが、残っていた私物を鞄に詰め込むと、新井は友紀の他には誰もいなくなったオフィスをゆっくりと見渡した。


「私は今まで、異動する際には『大過なく任を終えることが出来た』と挨拶して来たんだが、今度ばかりはそのセリフは使えなかったなぁ・・・。」


そうポツンと言うと、新井は苦笑いを浮かべた。


「正直に言えば、こんな中途半端な形でここを去るのは全く本意じゃない。悔しいの一言だが、しかしこれも身から出た錆だ。前次長と高木くんに不審を抱かなかったわけじゃないが、部下を疑うことを潔しとしない自分がいた。我ながら甘かったというしかない。」


「・・・。」


「滝が来てくれなかったら、事態はもっと深刻になり、取り返しのつかなかったことになりかねなかった。奴には感謝するしかない。」


そう言った新井に


「1つお聞きしてもよろしいですか?」


友紀は尋ねる。


「なんだね?」


「室長と次長は以前からのお知り合いですか?」


「なんでそう思う?」


「滝次長は、人は信用しないと私たちを寄せ付けられませんが、室長に対しては信頼を寄せてらっしゃるようにお見受けしました。それに・・・。」


ここで友紀は、先日の滝と新井の物陰での会話を聞いてしまったことを正直に告げた。


「そうか、杉浦くんに聞かれていたか・・・。」


「立ち聞きするような真似をして、申し訳ありませんでした。」


そう言って頭を下げた友紀に


「なに、そんな気にするようなことじゃないよ。」


新井は穏やかに笑った。


「実は滝が新入社員の頃、少し面倒を見たことがあるんだ。」


「そうだったんですか?」


「信じられんかもしれないが、私の知っている当時の滝は、明るくて、人懐っこくて、むしろ優しすぎるくらい優しい男だった。」


「えっ?」


友紀は驚く。そして以前、母が言っていた『その上司さん、もともとは凄く優しい人だったんじゃないかな』という言葉が鮮やかに蘇って来る。


「『本当に悪い人間なんて1人もいない。僕はある人にそう教わってから、そう信じて生きて来ました。』なんて、入社初日の挨拶でなんの衒いもなく、堂々と言っていたくらい真っすぐで純粋だった奴だったんだよ。」


(次長が、私と同じことを・・・。)


それがますます意外で、友紀は思わず、新井の顔を見つめる。