「室長。」


「なんだね?」


「今回の私の異動について、滝次長はなにかおっしゃってますか?」


考えたら、この場で村田に対して尋ねるには、奇妙な質問だった。実際、村田も一瞬変な顔になったが


「もちろん滝くんも喜んでたよ。君の将来の為にも素晴らしい人事だって。」


と笑みを浮かべて答える。その顔を少し眺めていた友紀は


「わかりました。それでは失礼します。」


と言って立ち上がった。


「あ、正式発表までは絶対に他言厳禁だからね。よろしく頼むよ。」


念を押して来た村田に


「心得てます。」


と言って一礼したあと、部屋を出た友紀の表情は固かった。


席に戻った後、なんの話だったのと、当然葉那たちから探りを入れられたが


「葉那さんや漆原くんの様子を尋ねられただけです。室長もご心配でしたから、2人とも頑張ってますから、大丈夫ですって答えておきました。」


「えっ、もうダメだって、なんで言ってくれなかったの?」


口を尖らせた葉那に、ニコリと微笑み掛けると、友紀は自分の仕事に入った。


そしてその日は、それ以降、特別なことは何も起こらなかった。各人がそれぞれの仕事をこなし、1日が過ぎて行った。定時を迎え、室長の村田を先頭に、三々五々室員たちが退勤して行く。


滝は1時間ほど残っていたが、パソコンを閉じると


「じゃ、今日はお先に。みんなも適当に切り上げろよ。」


と残っている連中に声を掛ける。


「はい。次長、お疲れ様でした。」


室員の声に送られて、滝は席を立った。早帰りを始めた頃は、随分驚かれたが、今ではそんなこともなく、次長の週に1度の息抜きデ-と部下達にも浸透したようだ。


足早にオフィスを出た滝は、先週も訪れたスカイラウンジに足を運ぶ。いつもの席に案内され、腰掛けて、前を見れば、やはり世界に冠たるメガロポリスの夜景が広がっている。


それはやはり吸い込まれるような美しさで、滝に迫って来たが、今の彼は、その光景を堪能するには、程遠い心境にあった。


今朝、友紀と村田の間で交わされた会話の内容は、もちろん知っている。別れの時が、刻々と近づいて来ている現実。


あの日、突然の神宮寺専務の来訪を受けた後、村田からその来意を聞かされた滝は


「冗談じゃない!」


と彼にしては、珍しく興奮した声で上司に食って掛かった。