尚も離婚を拒み続けた明奈が、両親の懸命の説得についに諦め、離婚届に署名捺印をしたのは、それから2週間後のことだった。立ち会った弁護士に


「いろいろご迷惑をお掛けしました。愛する人を裏切り、傷付け、大切な結婚生活を壊した責任は、全て私にあります。これで私たちは夫婦ではなくなりますが、そのことに対する謝罪、償いは私の生涯をかけて続けます。どうか、お身体に気を付けて、お元気で。そう雅也にお伝え下さい。」


とのメッセ-ジを託すと、静かに届を彼に渡した。その言葉を伝え聞いた雅也は


「そうですか、わかりました。」


一言、そう言っただけだった。


そして更に、2週間後、雅也に関西転勤の辞令が出た。いろいろあったが心機一転、また頑張れと言う当時の上司の配慮だった。


旅立ちの日、雅也を見送りに来たのは美和と咲良だった。


「相手の男は、事実上解雇になったよ。今回の件だけじゃなくて、いろいろ女性問題を起こしてるいわく付きの奴でさ。会社もいい加減見放したってとこじゃない?明奈もバカな男に引っ掛かったもんだよ。」


「・・・。」


「明奈は残って頑張るって。職場不倫だから、居辛いと思うけど、仕方ないね。」


「あの子なら大丈夫だろ。どちらにしても、もう俺が気にすることじゃない。」


雅也の言葉には冷たい響きがあった。


「そっか・・・そうだよね。」


と言った美和は


「雅也・・・ごめんね。」


と頭を下げた。


「なんだよ、いきなり。」


「君と明奈が付き合い始めた時、私言ったことがあったよね。『明奈が離れて行かないように、大切にしてあげて。』って。」


「・・・。」


「雅也はその言葉の通り、明奈を大切にし、愛してたと私は思うよ。でも結果的には、私が余計なことを言ったばっかりに、明奈を増長させて、こんなことになってしまったんだよね・・・。」


「別に村雨のせいじゃないよ。そう言えば、あの時、君はこうも言ってたよな。『君は自分の力と魅力で明奈をゲットした』って。その俺が結局、大切にし過ぎて、愛し過ぎて、裏切られた。なら村雨、俺はどうしたらよかったんだ?」


その雅也の言葉に、美和も咲良もなにも言えない。


「俺はやっぱりもう明奈に会うべきじゃなかった。知りたくないことを知らされ、明奈に失望し、ますます嫌いになっただけだった・・・。」


「雅也・・・。」


「あと、俺にはわかったことがある。人は自分の欲望の為なら、どんな理屈をつけても裏切る。そして、『この世の中に本当の悪い人間はいない』なんて言うのは、単なる戯言だって。」


「ちょっと、雅也・・・。」


吐き捨てるように言う雅也に、子供の頃からの付き合いの咲良が慌てたように声を掛ける。その声に、ちらっと咲良の顔を見た雅也は、しかしすぐ視線を外すと


「咲良、村雨、見送りありがとう。元気でな、さようなら。」


と能面のような表情で言うと、クルリと背を向けて歩き出した。


「さようならって・・・雅也、もう帰って来ないつもりなの?」


「まさか・・・。」


焦ったように言葉を交わしながら、2人は雅也の心の傷の深さを、改めて思い知らされていた。