「お願い、待って!!」

 気になって、ふっと後ろを振り返った。

 明かりがないから真っ暗で、顔はわからなかった。

 その男の子が走ってきて、私の近くに来た。

 顔がはっきりと見えた。

 私は、思わず息を飲んでしまった。

 だってその子は………その子はとてもきれいだったから。

 月の光にあてられて、キラキラと光る、透き通った茶髪の髪の毛。

 一点の曇りもない、澄んだビー玉のような瞳。

 すっと通っている鼻筋。

 日焼けを知らないような色白の肌。

 すらっとした長い手足。

 肩を少しふるわせて、私をじっと見つめた。その白くてきれいな手に、1本のスズランを持って。

「やっと、やっと見つけた」

 ビー玉のような瞳に、少しだけ涙が浮いていた。

 何を言ってるんだろう、この人は。こんな綺麗な人、一度見たら覚えているはずだ。

 でも、私は覚えていない。この人を知らない。

「寒かったでしょ?大丈夫?」

 その人が自分の着ていたコートを被せてくれた。

 思わず、パシッと振り払ってしまった。

「誰?あなた」

 端正な顔が、一瞬ぐしゃっと歪んだ。

「あぁ、そっか、やっぱり君は………………」

 しかし、すぐにふっと柔らかい笑みを浮かべた。

「僕は凪なぎ、雨宮(あまみや) (なぎ)。17歳だよ。きみは?」

 彼がもう一度コートを被せながら聞いてきた。

 今度は振り払わなかった。体は正直で、ガタガタと震えだしていた。

「………………」

「うーん、シカトは悲しいなー」

 こわい、こわすぎる。知らない人にいきなり名前を聞かれるなんて、誰でもシカトするよ。しかもこの状況で。私、自殺しようとしてるんだよ?さすがに見たらわかるよ。

「じゃあ、僕が勝手に名前をつけちゃうよ?黒い髪に猫目だから、、、クロネコちゃん!」

 思わず顔をしかめてしまった。だって、いくらなんでもセンスがなさすぎるんだもん。しかも「クロネコちゃん」って、恥ずかしすぎる。

「ふふっ、そんな露骨に嫌そうな顔しないでほしいなぁ。僕のつけた名前が嫌なら、名前教えてよ。ね?クロネコちゃん」

 私ははぁ、とため息をついた。毎回、「クロネコちゃん」て呼ばれるなんて、たまったもんじゃない。

「ふう、波澄(はすみ)、ふう」

「あ、言ってくれた。いい名前じゃん。波澄ふう。で、きみはいま、自殺しようとしてるんでしょ?」

「そうですけど」

 あ、この人状況わかってたんだ。

「そこで提案なんだけどさ、きみに一目惚れしたんだ。僕も一緒にいかせて?」

 思わず「は?」と言ってしまった。ほんっとうになんなんだこの人は?もしかして、私の聞き間違いか?

「すいません。いま、なんて言いました?」

「だから、きみに一目惚れしたから、一緒に僕も自殺させて?」

 どこから突っ込めばいいのかわからない。

 この雨宮 凪っていう人、色々ぶっ飛んでいる。

 まず初対面で、しかもこの状況で、一目惚れした?挙句の果てに、一緒に心中?冗談じゃない。

 せっかく1人で死のうとしていたのに、邪魔されるなんてゴメンだ。

「いやですけど」

「まー、そーなるよね。んー。どうやって説得しようか…」

 雨宮さんは諦めないみたい。諦めてくれると嬉しいんだけどな。

「ねぇ波澄さん。波澄さんこう思ってたんじゃない?「私が死んだら、テレビとかニュースに載らないかなー」って」

「えっ」

 私はぎくっとした。たしかにそう思っていた。ひっそり死ぬより、私が死んだことを日本中全体に知らせてやりたいと。雨宮さんはエスパーか?

「あ、いまぎくってした。図星なんだね」

「だったら何ですか?なんで私と雨宮さんが一緒に心中しなければいけないのですか?」

「心中だからだよ。心中は、普通の自殺より、話題になりそうでしょ?」

 まあ、たしかにそうだ。誰かと心中したほうが、ネットのヤツらは色んな考察を立てて、私の自殺した理由を暴き出そうとするだろう。

「まだ迷ってる?じゃあそうだな、いまは12月の下旬頃だから、日本中が注目する日、1月1日になった瞬間、2人で一緒にここから飛び降りるっていうのはどう?」

 悪い話じゃない。私にデメリットはない。彼のゆらゆら揺れる髪の毛が、キラキラして見えた。

「…………わかりました。いいですよ」

「ええっ、本当にいいの?」

「あなたがお願いしてきたんじゃないですか」

「いや、そうなんだけど、こんなすぐに僕の提案をのんでくれるなんて思わなかったから」

 雨宮さんが口を開け、ぽかんとしながら言った。私だって、彼の提案を受け入れるつもりはなかった。

 でも、彼の声や眼差し、表情…。なんだか、ちょっと安心する。だから、受け入れてしまった。「安心する」という感覚は、久しぶりだったから。

「じゃあ決まりだね。あ、そうだ!LINE交換しとこ!波澄さんは、スマホ持ってる?」

「はい、持ってます」

「これ、僕のQRコード。読み取って」

 雨宮さんのアカウントを追加すると、アイコンにサッカーボールの写真がでてきた。きっと、部活や習い事でサッカーをやっているんだろうな。

「じゃあ、また打ち合わせの時間とか場所を送るから。そのコートは、今度会うときでいいよ。波澄さんも、早めに帰るんだよ。風邪ひいちゃうから」

 雨宮さんが、手に持っていたすずらんを私の髪に添えた。

 そして、おやすみと言いながら、階段から降りていってしまった。

 不思議だった。初めて会う人なのに、不信感があまり湧かない。それどころか、安心するくらい。

 コートから、彼とすずらんの香りが花をくすぐった。まだ、少しあたたかかった。あの人になら、いつか私の本当の姿を、見せることができるのだろうか。

 私は、目を隠していた眼帯をそっと取った。いくら親しくなっても、信頼できても、この眼帯の中身を見せることはない。見せれない。そう決めたのは、私だ。これから先も、他人に見せることはできないと思う。