「うそ!雨だ…」

そういや、朝、天気予報見ずに来たな。

置き傘も折り畳み傘も持ってなかった。

(濡れるの嫌だな…)

私は雨は好きだが雨は嫌いだ。

特に自転車の時の雨と冬の雨は大嫌いだ。

私の好きな天気の雨は体に降りしきる雨の事ではない。

「普通の人は織田信長や晴れなんかを選ぶみたいよ」

「広島県人なら毛利元就を選ばんかい」

小学6年生の時、田中明菜とよく馬鹿な妄想話をしながら帰っていた。

「雨の話しだとやっぱり『雨が止みませんね』って言葉が素敵だよね」

雨が止みませんねは『あなたと一緒に居たい』と隠された意味がある事を知った私達はきゅんきゅんしていた。

好き

愛してる

その言葉も悪くはないがそんな言葉より情緒ある美しい言葉を言われたいと思っていた。

「雨が止みませんねの返しは何が良いかね?」

「私は『あなたが居て幸せです』の『暖かいですね』かなやっぱり。亜依子は?」

「私は『抱きしめて欲しい』って意味の『寒いですね』も捨てがたいけど、やっぱり『雨が止んで月が出るまで一緒に居ましょう』の…」

決してそれは相手に言って欲しいと言う願望ではなく、言ってくれないかなと言う希望。

いや、望む事すらはなはだしいとさえ思ってしまう。

けれど一縷の望みに掛け私と明菜は雨が降る度に喜び

「雨が止みませんね」

と、言っていた。

「あいつ、いっつも雨が降る度に雨が止みませんねって言ってね?」

おかげで小学生時代変わり者扱いされた。

なので私はよく変わり者と言われる。

けれど、雨が降るとその言葉を口にしてしまう癖は高校2年生の今の私も治ってない。

そしてこれからもきっと治らないと思う。

その日も下駄箱で靴を履き替え外を眺め空を見上げた私はいつもの独り言をもらした。

「雨が止みませんね」

決して返って来ぬ答え。

しかしこの日は違った。

「きっと月も綺麗ですよ」

私は驚き目を見開いた。

それは長年私が求めて恋焦がれた言葉だった。