お弁当が入った袋を抱きしめるように持ちながら、行き場のない感情から逃げるように小走りで廊下を進んでいく。

時枝くんに知られてしまった。

忘れられる前に起こったことや、私が自分で消えたいと願ったことも。
どう思われただろう。都合の悪いことを隠していたことに幻滅されたかもしれない。


『俺は宮里の言葉を信じるよ』

きっとあのときの様子を忘れているから、そんなことが言えるんだ。

『思い出すべきじゃなかったよな』

……違う。そんなことない。時枝くんが前みたいに私に声をかけてくれるようになって嬉しかった。

だけど、こんなことなら最初から時枝くんに私の存在を忘れられたままの方がよかったのかもしれない。


「っ、い」

曲がり角のところで誰かと勢いよく衝突して、私はよろけてお弁当の入った袋を落としてしまった。


「ごめん!」

聞こえてきた声に、私は視線を上げることができなかった。足に力を入れていないと崩れ落ちてしまいそう。

顔を見なくても、誰かわかる。


「怪我ない?」

——未羽。

思わず名前を呼んでしまいそうになった。

馴れ馴れしく口にしないように、気をつけながら視線を向ける。そこには以前と変わらない明るい表情の未羽が立っていた。


「はい、これ!」

落とした袋を拾ってくれたらしく、未羽が手渡してくれる。


「……ありがとう」

目が合ったら泣いてしまいそうで、未羽との接触はなるべく避けたい。

受け取ってすぐに去ろうとすると、未羽は慌てた様子で「待って!」と引き止めてきた。


「大丈夫?」

記憶が戻っていないようなのに、何故か未羽が私のことを心配してくれている。

不思議に思いながらも困惑して、おずおずと視線を上げた。
すると未羽は不安げな眼差しで私を見つめている。



「泣きそうに見えたから」

昔からよく私の些細な変化に未羽は気づいてくれた。

記憶をなくしても、無意識に感じ取っているのかもしれない。


「大丈夫だよ」

心配をかけないように笑顔を見せると、未羽はますます表情が曇っていく。

「お節介だとは思うんだけど、なんか放っておけなくって」

かけられた言葉に視界が滲み、目尻から一筋の涙が流れる。


「ごめん、未羽」

喉の奥がひりついて、声が微かに震えた。

「きっと明日には全部忘れちゃうと思うけど」

それでも私は、未羽に思いを告げるために手の甲で涙を拭いながら言葉を続ける。

「私……未羽のことが大好きだったの。ちゃんと誤解を解こうとせずに逃げ出して、大事な人を信じることができなかった」

未羽なら話せば信じてくれたのかもしれない。だけど一度目を逸らされただけで、怖くなってしまった。

私は信じてほしいと思いながら、誰のことも信じていなかったんだ。

みんなどうせ私の言葉よりも、裏アカウントの言葉や噂を信じる。

そう決めつけて、逃げてしまった。
私は裏アカウントなんて作っていない。あんな言葉書いていない。


それなら堂々としているべきだったのに、周囲の視線や私のフリした誰かに怯えているだけだった。

私の話を理解できていない様子で戸惑っている未羽に笑いかける。


「未羽にとっては意味がわからないよね」
「えっと、私……」

今まで話した記憶もなければ、名前もわからない相手のはずだ。

突然泣き出して、身に覚えのない話をされても気味が悪いだろうな。


「聞いてくれてありがとう」

そのまま未羽の横を通り過ぎていく。

これは私の自己満足でしかない。それでも伝えたかった。


もっと別の選択肢があったのかもしれない。
今更私はあのときの自分の行動や願いに後悔をしていた。