両親がサーラを修道院送りにしたのは、聖女を苛めたからなどではない。最初から聖女の存在など、カーティスたちしか信じていなかったのだから。
サーラはいずれ王太子妃、王妃になる者として、この騒動をどう治めるのか、試されていたのだ。
父がサーラの報告に具体的な指示を出さなかったのも、自分で考えろというメッセージだったのかもしれない。
それなのにカーティスを諫めることができず、その暴走を許してしまった。だからサーラは両親に、そして国王陛下に、王太子妃としてふさわしくないと判断された。
ただ、それだけのことだ。
思えば、できないことではなかった。
どんなに邪険にされても疎ましく思われても、カーティスを諫め、エリーは聖女などではないと糾弾すれば、あの騒動を治めることは可能だった。
実際、彼女が聖女である証拠など何ひとつない。
むしろ聖女の名を悪用したとして、エリーを断罪することもできた。
おそらくサーラには、それを期待されていた。
サーラはいずれ王太子妃、王妃になる者として、この騒動をどう治めるのか、試されていたのだ。
父がサーラの報告に具体的な指示を出さなかったのも、自分で考えろというメッセージだったのかもしれない。
それなのにカーティスを諫めることができず、その暴走を許してしまった。だからサーラは両親に、そして国王陛下に、王太子妃としてふさわしくないと判断された。
ただ、それだけのことだ。
思えば、できないことではなかった。
どんなに邪険にされても疎ましく思われても、カーティスを諫め、エリーは聖女などではないと糾弾すれば、あの騒動を治めることは可能だった。
実際、彼女が聖女である証拠など何ひとつない。
むしろ聖女の名を悪用したとして、エリーを断罪することもできた。
おそらくサーラには、それを期待されていた。



