【13-2】



 美穂は自分に言い聞かせるようにその後を続ける。

「そうだよね。やらなくちゃいけないんだよ。……あのね、本当は午前中に手術の同意サインしなくちゃならなかったの……。でも、途中でやめちゃったから、ちゃんと最後まで聞かないと、サインできないの。ヒロくん、一緒にいてくれると……嬉しいかな……」

「そんなことなら、いくらでも聞いてやるよ」

「じゃぁ、三河さんが帰る前にしなくちゃ」

 美穂が時計を見て立ち上がった。そういえば昨日は宿直だったから、今日は定時で帰ると言っていたっけ。

 二人でナースステーションに急いで戻り、三河さんを呼び出してもらう。

「瑠璃さん、今朝の続きしてもらっても、先生の予定大丈夫ですか?」

「いいわよ。すぐに先生に聞いてみるから」

 三河さんは俺が一緒にいることで、すぐに事情を察してくれたらしい。


 執刀医の先生も空き時間があったようで、すぐに部屋へ案内してくれた。

 中には俺たち二人、執刀医の先生、麻酔科の先生、そして担当してくれる三河さんの五人。


 正直、医療知識のない俺にはあまりよく理解できないところもあったけど、この場での一番の目的は、美穂自身がその治療を理解して受けるという確認。


 始まる前に、三河さんがそっと耳元で囁いてくれた。

「美穂さんはもう流れは分かってます。ただ、小田さんがそばにいてくれることが一番の支えなんです。手を握って一緒にいてあげてください。美穂さんはそれで大丈夫ですから」

 なんていう看護師さんなんだろう。事務的なことだけじゃなくて、本人のメンタル的なところまで把握できている。

 だからこそ、この若さで医師や患者さんからも信頼を得ているという理由が理解できた。


 明日の前日は、夕方から準備が始まる。体をよく洗ったり、必要によっては体毛の処理などもするそうだ。

 当日は朝8時から準備をする。健康観察から始まって、各部へのセンサーなどの取り付けから、点滴などの用意。そして手術室に入ってから、全身麻酔と進んでいく。人工心肺に切り替えて、実際に執刀するのは1時間ほど。

 全ての処置を終えてから、麻酔を解いて、意識が戻ったところでICUに移す。順調であれば夕方からは短時間ながら面会も、会話をすることもできるとのこと。

 この病院の場合、手術室のあるフロアは一般人は立ち入れないから、その下の階にある待合室か、病室で待っていることもできると教えてくれた。


「ヒロくんたちは朝早いから、ゆっくりでいいからね」

「ちゃんと時間には来る。心配するな」

 この段取りはすぐに彼女の両親に伝えるという役目を仰せつかっている。

「今回の手術が終われば、もう竹下さんの体の中に人工物は残りませんから、薬も少しずつ減らして、最後はなくすこともできるでしょう」

「はい。よろしくお願いします」

 三河さんの言っていたとおり、美穂から内容についての質問は出なかった。彼女はもう理解していたのだから。

 あとは背中を見守ってくれる存在がほしかったのだという。

「ありがとうございました」

「美穂さん、今夜風邪をひかないでくださいね」

 帰宅する三河さんに礼を言って、また二人だけになった。

 もう陽が落ちかけていて、屋上ではさすがに寒くなってきている。

 まもなく夕食の配膳が始まるから、俺の分の弁当を売店で買って談話室に戻ることにした。

 食事制限などがなく、許可をもらっていれば同じフロアの談話室ならお盆のまま持ち出しても構わないというルールだから、それを活用させてもらう。

「今日はありがとう。やっぱり一緒に来てもらえて正解だった」

「心配はいらないって言ってたしな」

「うん、でもね、絶対はないんだよ。でも、私はヒロくんのところに戻るんだって。必ず帰るんだって……」

 俺は美穂を抱き締めた。

「戻ってこい。待っているから」

「うん」

「帰ってきたら、いっぱい遊ぼうな」

「うん」

「これまで、我慢してきたこと、いっぱいあったもんな」

「うん」

「あと……」

「あと?」

 一瞬、早いかと迷った。でも言っておいたほうがいいかと思った。

「帰ってきたら、一緒に暮らそう」

「えっ……? いいの?」

 もう、この4ヶ月の間に話はつけてあった。お互いにもう未成年ではない。だから、気持ちに任せるとどちらの家からも言われていた。

「なっ? だから帰ってこいよ?」

「うん……。分かった。必ず約束する」

 指切りをした美穂を病室に戻し、俺がナースステーションを出たのは、もう面会時間も終わる時間だった。