さっきまで青空があった場所は、ぶ厚い雲に覆われていた。
秋の天気は変わりやすい。
ふらふらと移ろいながら、雨のたびに世界の温度を下げていく。

頬に冷たさを感じて古くなったビニール傘を広げると、少し剥げた花模様に雨粒が重なった。

美澄
『先生、私は女流棋士になれますか』

同じ文面を打っては消し、消しては打ってをくり返していた。

自分のメンタルひとつ保てない。
弱い。
私は弱い。

すがりつくような文面は送信できずに結局消した。

美澄
『今日は雨ですね。』
15:35

ビニール傘越しの空を撮って、メッセージの後に送った。
しかし、「送信」をタップした次の瞬間『何でもないです』と打つ。
送るべきか消すべきか、またしても悩んでいるうちに、手の中で端末が震えた。

「もしもし」

『お疲れ様です。久賀です』

美澄は道路の端に寄り、受話口を耳に押しつけた。

「お疲れ様です。先生、どうかしましたか?」

『奥沼一門が主催する大会について、日藤先生から何か聞いてませんか?』

美澄はぐるっと脳内を探ったが、そのような記憶は見つからなかった。

「いえ、何も。大会があるという話も聞いていません」

『そうですか』

「はい」

用事が済めばすぐに切り上げそうなものなのに、久賀はなかなか切らない。
沈黙の中に逡巡を読み取って、美澄の方から声をかけた。

「……先生、他に何か?」

電話の向こう側はしんとしていて、美澄は通話が切れたのかと一度画面を確認した。

「……もしもし? 先生? もしもし?」

『すみません。大会のことは嘘です。いろいろ考えたのですが、他に言い訳が思いつかなくて』

もっともらしい話をしたあとで、すぐに嘘だと馬鹿正直に言ってしまう。
ああこれが先生だなぁ、と美澄は微苦笑を浮かべる。

「先生、もしかして、心配してくれました?」

何も聞こえないのは電波障害ではなく、どうやら久賀が言葉に詰まっているらしいとわかると、無音にもやさしい色が灯る。

「ありがとうございます。でも今話したら、私、泣き言しか出てこないので。だからすみません。切りますね」

「通話終了」をタップしようとすると、ちょっと待って! と声が聞こえた。

「はい?」

『あなたらしくない』

不貞腐れたように久賀は言った。

「はい?」

『いい子ぶってるのは、あなたらしくありません』

「え……私、いい子ぶってます?」

電話の向こうでは久賀が場所を移動しているのか、ドアが開け閉めされる音が聞こえた。