小規模の将棋大会やイベントは、参加する棋士、女流棋士、奨励会員などが企画、スポンサーへの交渉、準備、設営から撤収まで、すべてを担うことがある。

「重い……失敗した」

パイプ椅子を両手に三脚ずつ抱えて、美澄は後悔していた。
スタッフが足りないことはわかっているので、こんな雑用は自分ひとりで十分だと請け負った手前、今さら助けを呼べない。
背伸びしていてもパイプ椅子は完全に床を擦り、今にも崩れ落ちそうになっていた。

ひとりでやり切る気概はあっても、気概で筋力は上がらない。
せめてもう少し身長があれば、と美澄は妄想する。
身長があれば、少ない筋力でも運びやすいのに。

「能力以上のことをしようとすると、逆に効率が悪いですよ」

半ば崩れていたパイプ椅子を掴んだのは、スーツに包まれた腕だった。

「……先生!?」

眉間にシワを寄せて美澄を見下ろした久賀は、もう片腕のパイプ椅子も受けとる。

「長テーブルひとつに四脚ずつ、向かい合わせに並べればいいんですよね」

「はい。あ、でも……」

「あなたは盤駒とチェスクロックを置いてください。のろのろ動かれると邪魔です」

「……すみません」

東京という土地で、しかも見慣れないスーツ姿の久賀に、美澄は少し人見知りしていた。
以前のように気軽に話しかけられず、黙ったまま作業を進める。
美澄がとろとろ盤駒を運ぶ間に、久賀は四脚ずつ抱えて大きな歩幅でさっさと運ぶ。

「先生、すみません。ありがとうございます」

「いえ。慣れてますので」

「そうなんですか?」

「奨励会員時代に何度も経験してますし、今もイベントがあれば駆り出されます」

「ああ、そっか」

久賀はガシガシと器用に椅子を並べていく。
途方もなく感じられた作業は、驚くほどスピーディーに進んでいった。

「先生、スーツ珍しいですね」

ジャケットを脱いだ久賀は、やはりブルーのストライプのYシャツだったが、さすがに印象は違う。

「こういう場ですから」

今日は馨も含め、男性はスーツ、女性もワンピースやブラウスにスカートなど、みんなきちんとした服装で臨んでいる。

「あなたこそ、服装があまりに違うので一瞬わかりませんでした」

美澄は珍しく、ベージュのパンツに青いチェックのシャツワンピースを着ている。

「棋士の私服ってどんな格好したらいいかわからなくて。それで先生の真似したんです」

久賀は形容しがたい表情で美澄を見た。
美澄の身近にいる“棋士”が馨だったこともあって、「一般的」の基準にずれがある。

「じゃあ、今日は僕のコスプレってことですか?」

「あ、そっか。そうなりますね」

自身と久賀を見比べて、美澄は小さくため息をつく。

「服だけじゃなくて、先生くらいの身長と、先生くらいの筋力と、先生くらいの棋力があったらよかったのに」

「なんですか、それ」

「そうしたらパイプ椅子も楽に運べるし、女流棋士にもさらっとなれますよね」

「そうですけど、それってほとんど僕そのものですよね」