頭が痛いのは、睡眠不足のせいでも脳を酷使したせいでもなく、ひたすらな自己嫌悪のせいだった。

一日四局指す研修会で一勝三敗。
その一勝も、美澄の犯したミス以上のミスを相手がしただけの泥試合で、棋譜を消滅させたいほどに恥ずかしい内容だった。

道の端では、朽ちた桜の花びらが砂埃と混じり合っている。
地元の桜はちょうど見頃だろうか。
二十二年身体に馴染んだ季節感と東京の季節は、少しずれがある。

「美澄さん、お疲れさまでーす」

「お疲れさま、梨乃(りの)ちゃん。ご機嫌だね」

「今日全勝だったんです! 次回の成績次第では昇級できそう」

うふふふ、と梨乃はひとつにまとめた艶やかな黒髪を揺らす。

「おめでとう」

勝負の世界で明暗が分かれるのは当然のことで、美澄もいちいち苛立ったりはしない。

「美澄さんは?」

「一勝三敗」

「あらら」

「師匠に棋譜送るのやだなぁ」

棋譜は毎回馨に送り、後日添削されて返ってくる。
あさひ将棋倶楽部にも報告がてら送ってはいるけれど、こちらは一切返事がないので、送るのをやめるべきかどうか悩んでいるところだった。

「師匠に棋譜なんて送るんですか?」

「うん。梨乃ちゃんのところは違うの?」

「うちの師匠、放任なので。昇級したり降級したときだけ報告するように言われてます」

「門下によって全然違うんだね」

馨の師匠、つまり美澄にとっては大師匠にあたる奥沼七段は、弟子の指導はあまりしないらしい。
その代わり、たくさんいる兄弟子や姉弟子が練習相手になってくれたそうだ。
同門といっても弟子同士まったく接点のないところもあれば、毎月一門会を開くところもある。
美澄のように他に門下生のいない場合もたくさんあって、師弟の在り方は様々だ。

「美澄さんの師匠って、日藤先生ですよね」

「うん」

「年、かなり近いですよね?」

「私より四つ上」

梨乃は不思議そうに美澄を見つめた。

「熱心に指導してもらって、好きになっちゃったりしないんですか?」

「すき?」

梨乃の師匠である鳥井田八段は彼女より五十歳以上年上で、棋士としてはすでに引退している。
だから年の近い師弟関係が想像つかないらしい。

しかし馨以外の師匠を知らない美澄にしてみれば、父にときめかないように、兄に頬を染めないように、馨に恋をするという概念はない。
指し手の切れ味にはうっとりするけれど、それもまた恋とは別物だ。