三月下旬。
四日に三日は天気が崩れるこの時期にあって、その日は未明に雨は止み、濡れた路面に太陽の光がきらきらと反射していた。

美澄は久しぶりに切った髪を風に揺らして、あさひ将棋倶楽部を目指した。
冬をぶり返したようにキンと冷えた空気が、むき出しになったうなじに心地よい。

「こんにちは」

美澄が倶楽部のドアを開けると、数人いる常連から歓声が上がった。

「古関さーん! 今日行っちゃうんだって?」

「はい。この次の新幹線で」

研修会試験を受けた美澄は、見事D1での入会を果たした。
無事に二週間後の例会から参加できることになっている。

師匠となった馨や日藤家への挨拶、引っ越しの準備、と大慌てでこなしていたため、倶楽部にはまったく顔を出すことができなかった。

「みなさん、お世話になりました。お菓子買ってきたので、休憩がてら食べてください」

テーブルに紙袋ごとお菓子を置くと、常田、仁木、磯島をはじめとする数人が、自分の対局の手を止めてまでやってきた。

「日藤四段って、どんな人だった?」

「想像してたよりもきさくで、明るい方でした」

「内弟子って大変そうだねぇ」

「でも、ご家族みんなやさしいですよ」

「古関さん、頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」

「こっちに帰ってきたときは寄ってよ」

美澄が曖昧に笑うと、仁木は大袈裟に自らの頭を叩いた。

「ああ、そっか。実家はこっちじゃないんだっけ」

「すみません。なかなか顔は出せないかもしれません。でも、近くまて来たら絶対寄りますから!」

「寂しくなるねぇ。頑張ってね」

「ありがとうございます。頑張ります」

「女流棋士になったら指導にきてね」

「それは必ず」

何度も頭を下げていた美澄に、古関さん、とカウンターの中から久賀が声をかけた。

「新幹線の時間、もうすぐじゃないですか?」

時刻表が搭載されている久賀は、圭吾を促す時と同じように美澄にも告げた。
時計を確認した美澄も慌て出す。

「そうでした! あ、平川先生!」

初めて会った日と変わらない笑顔の平川に、美澄は駆け寄った。

「お世話になりました」

「頑張ってね」

「はい。ありがとうございました」

「身体に気をつけて」