ベッド脇に久賀がいたために、目覚めたばかりの美澄の目には動揺の色が浮かんだ。

「先生……なんで?」

声が落ち着いているように聞こえるのは、単に力が入らないせいなのだろう。

周りを囲むミントグリーンのカーテンは、上部が網状に開いている特徴的なデザインで、周囲を伺った美澄もここが病院であることを思い出したようだった。

「『フラジエ』でしたか。古関さんのバイト先に行ったら、こちらの病院に搬送されたと聞いたので。過労だそうですね」

血管の浮き出た細い腕からは点滴の管が伸びている。
表情がなく、色のない病衣をまとっている彼女は、まるで下手な鉛筆画のように見える。

「『アルバイトを増やしたから』と店長さんが心配していました」

否定も肯定もせず、美澄はふう、と息をつく。

二時間ほど前、倶楽部に美澄から電話があった。
途切れ途切れの弱った声で、まだバイト先にいて今日の指導は遅れる、と言う。
とても将棋の指せる状態には思えなかったが、通話は切れてしまった。
切れる直前に『古関さん、救急車来たよ』と聞こえたのが気になり、倶楽部は平川に頼んでフラジエを訪ねた。

フラジエの店長は三十代の女性で、突然の訪問に戸惑っていたが、美澄の友人だというスタッフが久賀の存在を認識していた。
そこで当然知っているものとして語られた美澄の現状に、久賀は目眩を覚えた。

「古関さん、大学は辞めていたんですね」

美澄の瞳に気まずそうな揺らぎが見えた。

一年近く前、去年の三月には大学を中退し、そのことで親とも揉めたらしい。
仕送りも止められ、美澄は生活のために雑貨店以外にもアルバイトを増やさねばならなかった。

「行政法のレポートが書き終わらなくて、辞めたくなっちゃったんです」

「いや、将棋ですね」

断言すると、美澄は口を閉ざして視線を点滴へと逃がした。
ずいぶん伸びた髪。
ひどい顔色。
目の下のクマ。
痩せた指。
艶のない爪。

「先生、すみません。先に倶楽部に戻っててもらえませんか? 私もなるべく早く行きますから」

身体を起こそうとする美澄に、荒げたくなる声を押し殺して、久賀はしずかに制した。

「体調が戻るまでゆっくり休んでください」

「もう大丈夫です」

「そうは見えません」

「本当に大丈夫です。寝たら楽になりましたから」

「いいえ。しばらく勉強は休んでください」

「そんな悠長なこと言っていられません」

「古関さん……お願いです」

頭を下げて懇願すると、美澄は力を抜いてベッドに沈んだ。