「駒落ちの経験は?」

駒落ちとは、棋力に差がある場合にバランスを取るためのハンデのことだ。
上位者が自陣の駒の数を減らして戦う。
美澄も耳にしたことはあるけれと、基本的に同程度の棋力の人としか指してこなかったため、経験はしていない。

「ありません」

平川は飛車、角行、左の香車、右の香車、と駒を袋に戻す。

「四枚落ちでやってみましょうか」

「はい」

「では、よろしくお願いします」

平川が頭を下げて待っているので、遅れて美澄も頭を下げた。

「よろしくお願いします」

駒落ちは上手が先に指す。
美澄はわからないながら、香車のいない九筋から攻めの形を作っていった。

「古関さんは()飛車(びしゃ)党?」

「はい。中飛車(なかびしゃ)をよく指します」

「ああ、なるほどね」

振り飛車とは、飛車を初形より左側に移動して戦う戦法のことで、美澄はその中でも特に飛車を中央に置いて戦う中飛車を得意としていた。
また居飛車(いびしゃ)と言って、飛車を初形の位置で戦う戦法もある。
将棋指しは、主に居飛車を指す居飛車党、主に振り飛車を指す振り飛車党、どちらも指しこなすオールラウンダーに分類される。

四枚落ちには居飛車の形で攻めていく定跡があるが、美澄はそれを知らないし、知っていても慣れない戦法は指しにくかっただろう。
無駄や悪手も多いなりに、なんとか寄せ(相手玉を追い詰める)切った。

「負けました」

平川が投了すると、美澄もぼそぼそ、ありがとうございました、と応じる。

「定跡は知らなくても、十分指せるようですね」

「ありがとうございます」

将棋で褒められたことのない美澄は、かつてない満足感で頬が緩んだ。
素直ににこにこ笑う美澄に、平川も笑顔になって駒を中央に集めた。

「お時間が大丈夫なら、次は二枚落ちでやってみましょうか」

「お願いします」

袋から香車を二枚追加する。
ふたりが駒を並べる後ろでは、先ほどの少年が対局していた。
少年を含む五人がコの字型に置かれたテーブルにそれぞれ盤を並べ、その中心に受付の男性がいる。
男性は一手指しては隣の盤へと移動しながら、同時に五人を相手に指していた。

「あの、あれは何してるんですか?」

「指導対局です。土曜日と日曜日、そらから水曜日の午後に、希望者を対象に行っています」

指導対局は、対局をしながら具体的な指導をしていくものだ。
プロの指導対局では五面指し、十面指しは当たり前で、指導者は当然すべての盤の状況を把握できるだけの棋力が必要となる。

「大人もですか?」

「年齢は関係ありません。将棋とはそういうものでしょう」

涼しい顔で指導する男性は、ほとんど時間を使わずに指している。
時々盤面を指差して何か言っているけれど、美澄のところまでは聞こえなかった。