「ありがとうございます」

少年の視線をたどって、受付の男性が美澄を見た。

「ご利用ですか?」

返事に窮していると、少年が楽しそうに答える。

「スペース81で初段だって」

男性は一度眼鏡の位置を直してから、新しい用紙とボールペンをカウンターに乗せた。

「太枠の中にご記入お願いします」

「あの、ここは将棋の教室ですか?」

「対局だけすることも可能です」

カウンターの端に並んだ書類から男性が抜き出したのは、倶楽部の案内だった。

火・水・金 12:00~20:00
土・日・祝 10:00~18:00
月・木 休館
席料 一日七百円
月間フリー会員 五千円
指導対局は土・日・水(チケット制)

「じゃあ、一日利用でお願いします」

時計を確認し、バスの時刻表を頭に浮かべながら美澄は答えた。
必要事項を記入した紙と一緒に、千二百円をカウンターに置く。
小型の手持ち金庫を開けた男性は、そこから五百円玉を取り出した。
それを人差し指と中指で挟んでピシリと置いてから、すっと前に滑らせる。
優雅とも攻撃的とも思えるその手つきは無意識のものらしい。
美澄は首をかしげながら財布に五百円玉を落とした。

「では、まず棋力を認定しますので、あちらへどうぞ」

男性はカウンターの並びにあるソファー席を手で示した。

「初段です」

美澄は告げたが、男性は一瞥もくれず、手持ち金庫の鍵をかけながら言った。

「サイトや他道場での棋力も参考にしますが、それとは別に当倶楽部でも認定します」

ソファーは古い革張りで、ローテーブルを囲む形で三人掛けがふたつと一人掛けがひとつ、コの字に並んでいる。
角の部分が破れたらしく、黒いガムテープで補修してあった。
背もたれに背中をつけるとソファーの中まで沈みそうだったので、浅く前のめりに腰かけた。

エアコンから吹いてくる冷風が、耳の下で切り揃えられた美澄の髪を乱す。
剥き出しのうなじから震えが背中を走った。

「あの、冷房でなくて暖房にできませんか?」

美澄は立ち去ろうとしていた男性を呼び止めて頼んだ。
ところが、

「今日の予報では、最高気温が二十五度まで上がるそうなので」

と、取り合ってくれなかった。
まさか反論されるとは思わず、美澄もムッとして言い返す。

「予報はあくまで予報ですよね。濡れると寒いから、子どもなんて風邪ひいてしまいますよ。せめて冷房は止めてほしいです」

エアコンを見上げ、続いて少年を見た彼は、そうでしたか、と言って去って行った。
まもなく吹きつけていた冷たい風がやわらいだので、美澄は濡れたカーディガンを脱いだ。