「いただきます」

美澄は恐る恐るマグカップに口をつけて、きゅっと唇を閉じる。
本当はブラックコーヒーは飲めないのかもしれないが、ここに砂糖やミルクは置いていない。
久賀は自分が飲むついでに出しただけで、美澄が飲むか飲まないかはどうでもよかった。
美澄はひと口ひと口、作業のようにコーヒーを減らしていき、久賀はひたすらボールペンを走らせる。

「本当に覚えてるんですね。あ、すみません。話しかけて」

カウンター越しに覗き込んだ美澄は、顔を上げた久賀と目が合って身体を引いた。
そのまま逃げるように元の席に座る。

「手には流れがありますから、その流れを考えると自然と頭に入ります」

久賀は一度コーヒーを口に含み、ふたたびボールペンをとる。
コーヒーはすでにぬるかった。
室内も寒いせいで、冷めるのも早い。

「できました」

カウンターから出てきた久賀は、美澄が座っている机の上を滑らせるようにして紙を渡した。
日付、時間、対局者、手合割。
そして符号が大雑把な文字ながら整然と並んでいる。

「ありがとうございます。おいくらですか?」

「いりません。料金設定してませんので。ただ、他の人には言わないでください。収拾つかなくなるので」

「わかりました。……ひどい将棋でしたよね」

久賀は直接返事はせず、カウンターに腰掛けてすっかり冷めたコーヒーを飲んだ。

「あの後、常田さんと仁木さんと磯島さんと……全部で五、六人の常連さんに囲まれて怒られました」

「どうしてですか?」

「『あれはイジメだ』と」

不満が滲む顔にマグカップを押しつける。
『貴重な女の子が減ったらどうする』
『お客さんを怖がらせるなんて、この倶楽部つぶれるよ、先生』
『本気に見せかけてうまーく緩める(手加減する)のが、プロの指導対局でしょ。本当に潰しちゃだめだよ~』
安い緑茶のお茶請け代わりに、久賀は彼らに付き合わされた。

「物事を普及する上で、女性がいかに有益であるか、延々と説かれました」