空は西の端まですっかり暗く、日の名残りも感じられない。
はあっと白い息を吐くと、冷えた空気が身体の中に広がった。
「ん? 電車?」
少し顔を持ち上げ、久賀は曇り空に耳を澄ます。
「音が近い」
「雨降るんじゃないですか? 遠くの音が聞こえると雨が降るって言いますよね」
「ああ、低気圧か。音が上空に逃げない、という」
「原理は知りません」
そろって見上げる空は、そこに雲があることさえわからないほど、みっしりと覆われていた。
「じゃあ、急ぎましょう」
差し出された手を美澄は見つめる。
とてもきれいな手だった。
将棋に必要なのは手ではなく脳なのだが、「指運」という言葉もあるように将棋指しの手には不思議な何かが宿っている。
その手に触れていい権利を行使できずにいると、久賀はさらに10cm近づけて促す。
そっと重ねた手はあたたかく、また少し冬が進んだように感じられた。
「美澄、何食べたい?」
「そういえば、師匠が作ったたらこパスタにそっくりなのがあるんですよ。フラジエと同じフロアに最近できたイタリアン。そこにしませんか?」
「いいけど、その話聞いたあとに食べるの微妙だな」
美澄は声を立てて笑った。
そのささやかな揺れも、手を通して久賀に伝わっていく。
その距離に満足しながら、美澄はもう一度空を見上げた。
「来週あたり雪降るみたいですね」
「ああ、やだな。雪掻き。まだタイヤ交換もしてない」
心底億劫そうに眉根を寄せる久賀の首筋を、冬の風が撫でて行った。
「先生、すっかりこっちの人っぽい」
その反応を、美澄はうれしく受け止める。
「もう五度目の冬ですから」
「六度目の冬も七度目の冬も、ずっといてくださいね」
すがるように身を寄せる美澄を、久賀は目を細めて見下ろした。
その表情を、車のライトが一瞬照らし出す。
「あなたがここにいる限りは」
美澄はすい、と目をそらし、面映ゆさからおもむろに話題を変えた。
はあっと白い息を吐くと、冷えた空気が身体の中に広がった。
「ん? 電車?」
少し顔を持ち上げ、久賀は曇り空に耳を澄ます。
「音が近い」
「雨降るんじゃないですか? 遠くの音が聞こえると雨が降るって言いますよね」
「ああ、低気圧か。音が上空に逃げない、という」
「原理は知りません」
そろって見上げる空は、そこに雲があることさえわからないほど、みっしりと覆われていた。
「じゃあ、急ぎましょう」
差し出された手を美澄は見つめる。
とてもきれいな手だった。
将棋に必要なのは手ではなく脳なのだが、「指運」という言葉もあるように将棋指しの手には不思議な何かが宿っている。
その手に触れていい権利を行使できずにいると、久賀はさらに10cm近づけて促す。
そっと重ねた手はあたたかく、また少し冬が進んだように感じられた。
「美澄、何食べたい?」
「そういえば、師匠が作ったたらこパスタにそっくりなのがあるんですよ。フラジエと同じフロアに最近できたイタリアン。そこにしませんか?」
「いいけど、その話聞いたあとに食べるの微妙だな」
美澄は声を立てて笑った。
そのささやかな揺れも、手を通して久賀に伝わっていく。
その距離に満足しながら、美澄はもう一度空を見上げた。
「来週あたり雪降るみたいですね」
「ああ、やだな。雪掻き。まだタイヤ交換もしてない」
心底億劫そうに眉根を寄せる久賀の首筋を、冬の風が撫でて行った。
「先生、すっかりこっちの人っぽい」
その反応を、美澄はうれしく受け止める。
「もう五度目の冬ですから」
「六度目の冬も七度目の冬も、ずっといてくださいね」
すがるように身を寄せる美澄を、久賀は目を細めて見下ろした。
その表情を、車のライトが一瞬照らし出す。
「あなたがここにいる限りは」
美澄はすい、と目をそらし、面映ゆさからおもむろに話題を変えた。



