日藤家に頭を下げたのと同じくらい、久賀にもそうするべきだと美澄も思う。
現状お付き合いをしているせいで、そこに照れが生まれてしまったから厄介なだけだ。

「もし親御さんが夏紀くんに難色を示すようなら連絡して。俺が絶対認めさせる」

言外に、認めない方が悪い、と含ませる。
久賀への対応に関しては、現状ですでに不満なのだ。

「ダメ押しで暴露すると、研修会の会費、立て替えたの俺じゃなくて夏紀くんだから」

美澄は声も出せずに驚いていた。
借りていた分は、親の協力が得られたときに返還したが、それは馨を通して久賀に渡っていたらしい。

「俺はやり過ぎだって止めたんだよ」

「夏紀ってさ、意外と女で身を持ち崩すタイプなのかな」

綾音は、アイス食べたら寒くなった、とポットから急須に湯を注いで緑茶を淹れる。

「……両親には話します」

「その方がいいね」

馨は渡されたお茶を飲もうとして、熱そうに口を離す。

「なんか、対局より胃が痛い……」

溶けかけたアイスクリームを口に運ぶ美澄を、綾音はニヤニヤと見つめた。

「美澄ちゃんにとっては、夏紀が初彼みたいなものだもんね」

馨が興味津々という様子で身を乗り出した。

「そうなの?」

「師匠なのに元彼とのこと知らないの?」

「今時そんなの聞いたらセクハラで訴えられるでしょ」

で? と馨もニヤニヤ笑う。

「いや……別に大層な話ではないんですけど……」

隠すことでもないので、大学時代初めて付き合った彼が将棋部であったことを話した。
アマチュア初段だというその彼に三戦三勝。
美澄は将棋の楽しさを知ったが、その日から連絡が取れなくなった。
付き合ってほんの一週間程度の、恋なのかどうかもわからないような儚い思い出。

「元彼かわいそ~」

言葉とは裏腹に、馨はケラケラと笑う。

「その人、美澄ちゃんが女流棋士になって、今頃びっくりしてるだろうね」

「もう、あの人のことはいいんですよ……」

美澄の丸まった背中を、綾音がポンポンと叩く。

「大丈夫、大丈夫。夏紀なら三戦全敗なんてしないって」

「いや、夏紀くんに全勝できるくらいになって欲しいな、俺は」

相反する意見にはどっちつかずに、はあ頑張ります、と答えた。

そんな美澄を見て馨は相好を崩す。