「そういえば古関さん、引っ越し先決まったんだって?」

アイスクリームを食べ終えた馨は、スプーンを容器に放す。
視線をさ迷わせたので、美澄はウェットティッシュを手渡した。

「はい。あとは引っ越し屋さんを手配するだけです」

「いつ頃?」

「今月中には、と思ってます」

新しく住むアパートは、あさひ将棋倶楽部から徒歩で十五分ほどのワンルームだ。
部屋探しから手続きまで、久賀が面倒を見てくれた。

こちらで続けてきた研究会や、先日の対局終わりに水原から申し込まれたVSは、オンラインで続けることになっている。

二年半住んでも、東京という土地にさして愛着はないけれど、繋がっていたい縁はちゃんと続いていく。
結局、「郷土愛」も多くは人と思い出に対する執着なのかもしれない。
待つ人がいれば、そこが「帰る場所」になる。

「夏紀と住むの?」

美澄は真っ赤な顔でスプーンを振り回す。

「いやいやいやいや! まさかまさかまさかまさか!」

「なんで? 経済的にもその方が楽じゃない?」

「でも、親には何も話してないので」

日藤家に居候していると知ったときの混乱を思い出すと、今でも頭が痛む。
東京を離れ、でも地元に帰らないところから何か察していたとしても、余計な藪を突っつきたくはない。

「まあ、一緒に住むかどうかはともかく、」

馨は指についていたチョコレートをウェットティッシュで拭う。

「ご両親にはちゃんと話した方がいいよ」

「そうだね。こういうことは最初が肝心だから、あとでバレたら印象悪いよ」

綾音も同じ動きで指先を拭いながら同意した。

女流棋士になったことは喜んでくれたものの、美澄の両親はそもそも棋界に対する理解が足りない。
今時まだ見合い話が持ち上がるような田舎で、美澄が逃げるように東京に来たのはそのせいでもあった。

「個人的な感覚から言うとね、」

馨は甘さのない真剣な面持ちで言う。

「夏紀くんは人としていろいろ欠点はあるけど、古関さんが女流棋士になれたのには、夏紀くんの功績が大きいよ」

もちろんです、と美澄も応じる。
久賀に出会えていなかったら、女流棋士にはなれていない。
それどころか将棋も指していない。
きっと何にもなれていない。
ただちょっと面白いだけのゲームに、真剣勝負があることを教えてくれたのは久賀なのだ。

「ずっと将棋教えて、何軒も何軒も頭下げて受け入れ先探すなんて、普通のことじゃないんだよ。彼氏になったのはただの結果で、夏紀くんは見返りだって求めてなかった。俺が古関さんの親なら、夏紀くんに足を向けては寝られない」