「将棋会館の近くは家賃高くて」

「そうでしたね」

「それでも毎日通うなら近い方がいいけど、せいぜい月に四、五回程度だからね」

以前なら、直接将棋会館に行かないと棋譜の確認ができず、情報に遅れていた。
しかし、それがインターネットで確認できるようになり、研究もパソコンを使うようになった今、どこに住んでも入手できる情報に差はない。
そのため、対局に通えるならどこに住んでもいいのが現状だ。

「古関さんはどこに住みたいの?」

促すわけでも、引き留めるわけでもない、やさしく事実確認するだけの問いだった。

「まだ決めてませんけど、そろそろ考えないと」

女流棋士になると、一定期間は記録係などの仕事が課される。
その間は日藤家のお世話になるけれど、以後はどこかで一人暮らしをするつもりだった。

「まだここにいても、うちの家族は構わないと思うよ?」

「はい。それはありがたいと思ってます」

日藤家の人たちはみな、帰ることも残ることも答えを保留することも、どんな選択も可能にしてくれる。
だからこそ、そこに甘え過ぎてはいけないと美澄は身を引きしめる。

「帰るの?」

「どうでしょう。実家はあまり帰りたくないし、将棋関係の知り合いもいないし」

「あ、そっか。夏紀くんのいるところは『地元』じゃないんだっけ」

「はい」

ゴボウを入れたボウルの水はほんのり茶色く色づいている。

「じゃあ聞き方変える。夏紀くんのところに帰りたい?」

話しながらであっても、馨の皮を剥く速度は速い。
土にまみれた皮がリズミカルにシンクに落ちる。

「帰ればいいじゃない。夏紀くんのところ」

「……理由がないです」

地元でもない。
ただ一時お世話になっただけの場所。
そこははたして「帰っていい」場所なのだろうか。

どこに住んでもいいはずなのに、あの場所だけは美澄の一存では決められない。

「それって、理由がつけられれば帰りたいってことでしょ」

返事はせず、レードルに持ち替えて灰汁をボウルに取る。
モヤモヤモヤモヤ。
すくってもすくってもどこから湧くのかなくならない。

里芋は全部つるりと剥かれ、馨は手を洗ってシンクに寄りかかる。

「自覚はあるよね?」

鶏ガラを濾そうとしたら、俺やるよ、と馨が代わってくれた。
立ち上る湯気に馨の眼鏡が白く曇る。

千日手(せんにちて)(同じ局面が何度も現れて進まない状態。引き分け)だねぇ」

眼鏡を外し、ポケットからハンカチを出してごしごしと拭く。

「古関さんは『帰る理由がない』って言うし、夏紀くんは古関さんの決断には絶対関わらないだろうし、どっちも手待ちで動かない」