「すっかり、恭さんの指定席だね」

 いつもの一番端の席。

 壁に背を預けるように座っていると、マスター
がハイボールを差し出してくれた。

 「はい。いつもの」

 「どうも」

 店の入り口から意識を引き戻されて、照れた
ように苦笑いを浮かべる。マスターは、親しみ
を込めた眼差しを向け、カウンターに両手を
ついた。

 「毎晩よく懲りずに通うなあ、って呆れて
る?」

 黄金色の炭酸水をひとくち喉に流し込んで
頬杖をつく。マスターを斜めに見上げると、
彼は「いいや」と首を振った。

 「追えば追うほど、深みにハマるのはわかる
けどね。女に不自由してるわけじゃないだろう
に、執着しちまうのは既に彼女に“捕まってる”
証拠だろう?」

 にぃ、と白髪交じりの口ひげが笑みの形に
歪む。俺はもう、認めざるを得なかった。

 「確かに。でも、傷つくほど若くもないし
ね。引き際はわかってるつもりだよ」

 「そう?ならいいけど」

 マスターは小さく二度頷く。

 「それにしても。彼女がこんなに長く店に
顔を出さないのは初めてだな。もう来ないって
ことは、ないと思うんだけどね」

 「たぶん、俺を避けてるんだろうな。悪いね。
営業妨害しちゃって」

 乾いた笑いが口から漏れる。
 軽くグラスを回すと、小さな気泡が氷を避け
て無数に弾けた。

 「その分、恭さんが毎日来てくれるから。
うちとしてはプラスになってるよ」

 「なるほど、それは良かった」

 くすくす、とマスターと二人で笑い合った。


 その時だった。



-----カラン。



 ドアがベルを鳴らして、ゆっくりと開いた。
 その音に引き付けられるように、入り口を
向く。向いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 ドアノブを握りしめたまま、彼女がじっと、
こちらを見つめている。
 まるで金縛りにあっているかのように、
そこに立ち尽くしていた。