「じゃあ、また」

 ひらりと手を振ると、俺は相変わらず重い
扉を開け、店を出た。




 トレンチコートのポケットに両手を突っ込
んで、漆黒の夜空の下を歩き出す。
 秋の匂いを思わせる夜風が、すっと首筋を
撫でて肩を竦めた。不意に、ある人物を思い
出してポケットから携帯を取り出す。

 まだ、起きてるかな……

 そう思いながら、俺はじっと呼び出し音を
数えた。3回、4回、5回目で、無機質な音
が途切れる。

 「ああ、尚美。うん………ごめん。良かった
ら、いまから来ないか?」

 聴き慣れたその声の返答を待って立ち止まる
と、星のない真っ暗な夜空を見上げた。







 「ねぇ、何かあった?」

 睨むように天井を見つめていると、少しくぐも
った声で尚美が聞いた。

 「……なんで?」

 天井を見つめたままで、切り返す。

 「なんで、って………こんな風に、突然呼び出
されたの初めてだし。何だか、元気ないみたい
だし……」

 うつ伏せで枕に顔を埋めたまま、尚美が気遣う
ような視線を向ける。俺は、いや、と言って
僅かに口角を上げた。

 「別に、何もないよ。悪かったな。急に呼び
出したりして」

 くるりと尚美の方を向いて、彼女の頭に手を
伸ばす。ゆるく髪を撫でてやると、ううん、
と首を振って顔をこちらに向けた。

 「何もないなら別にいいんだけど。会社でも
疲れていそうな顔してたし、相変わらず眠れ
ないの?」

 心配そうに眉を寄せる尚美に、俺は苦笑い
した。

 「まぁ、眠れないのはいつものことだけど、
確かに仕事も立て込んでいたからな……部長の
留守を預かるのも大変でさ」

 ポンポン、と軽く尚美の頭を叩きながら小さ
くため息をつく。その息と共に疲れがふっ、
と抜けるような気がした。

 「あの人の出張は長いからね。でもあなたの
こと、すごく信頼してる。『あいつは俺よりも
上手くやる』って、この間褒めてたわよ」

 ふふっ、と尚美が目を細めた。

 「へぇ。そりゃどうも」

 俺はまんざらでもない気分で白い歯を見せた。