「いらっしゃいませ」

 カウンター席の向こうで、マスターがこちらを
向く。店の奥へ足を進めると「お好きな席へどう
ぞ」と、また声がかかった。

 小さく頷いてカウンターの端から2番目の席に
座る。店内の造りに合わせたモダンなカウンター
チェアーが、くるりと回って前を向かせた。

 「決まったら、お声をかけてください」

 白髪交じりの口髭が良く似合うマスターが、
二つ折りのメニューを差し出す。
 そのメニューを開くことなく
 
 「ハイボール、濃い目で」

 と、注文をすると、淡くはにかんで、お手拭き
とナッツをテーブルに置いた。


 感じのいい店だな。
 俺は店内の観察を始めた。

 オレンジの照明が控えめに視界を包む店内は、
雑多な感じがなく、すっきりとしている。
 それほど広くはない空間にカウンターが6席。
 奥にテーブル席が3つ。
 それでも、息苦しさを感じないのは、地下の
わりに、天井が高めにとってあるからだろう。



-----クスクス。



 カウンターの一番壁側にいる、恋人らしき二人
から、楽しそうな笑い声が聞こえる。
 身を寄せ合うその姿から視線をさらにこちらに
移すと、真紅のカーディガンを羽織った、髪の
長い女性がひとり、グラスを傾けていた。



-----常連、かな。



 彼女の姿はカウンターに溶け込んでいて、違和
感がない。残念ながら、さらりと垂らされた長い
髪に隠れてしまって、その女性の顔は見えなかっ
たが、ぴたりとした細身のワンピースが、スタイ
ルの良さを際立たせている。

 そして、白い二の腕からは、どきりとするほど
色気が漂っていた。

 「お待たせしました」

 いつの間にか目の前に立っていたマスターが、
コースターにハイボールグラスを置く。

 すぐ隣の女性から意識を引き戻された俺は、
マスターの意味ありげな含み笑いに、眉を寄せ、
頬を緩めた。どうやら、俺の意図はあっさり
見透かされてしまったらしい。
 マスターの視線から逃げるようにハイボールを
喉に流し込むと、俺は小さく息をついた。

 不意に、その彼女が席を立った。